31話
そのままでブランシュは続ける。もうこの人の奇行には慣れてきている。慣れたくないけど。
「例えば、完全にブラームスの気持ちを再現した香りがあったとして、それを嗅いだ人々が全員納得するとは思えません。『雨の歌』を聴いて、それぞれ抱いた感想は違うわけですから」
ようやく顔を離し、またもニコルはベッドに寝転ぶ。
「たしかに、希望のある歌という人もいれば、絶望したっていう人もいるだろうし、ブラームスはクララを諦めていないっていう人もいそうね」
音楽科の生徒の感想と照らし合わせて、ブランシュはひとつの答えに達した。
「だからこそ、自分なりの『雨の歌』を表現すべきだと思います。音楽科の方々の意見が割れていることで、そこに気付きました。これをよく解釈、なんて言いますけど」
自分がいっぱしの音楽家みたいなことを言っていいものか、と恥ずかしくなる。コンクールに出るわけでもないのに、深く読み込みすぎて、なにか音楽の本質を見落としそうで怖い。元々、自由になにも考えずに弾くことが好きだったのに、それを忘れてしまいそうで。でも、やるしかない。
「んで、ブランシュはどう思った? あなたにはブラームスはどう見える、いや、香るの?」
そうニコルに問われ、ブランシュは頭を切り替える。ずっと考えていた、曲とリンクする香りを。自分の浅い経験でどこまで通用するかわからないが、間違っていても答えを出さなければ始まらない。アインシュタインも言っていた。『間違えたことのない人間は、新しい挑戦をしなかった人だ』と。
「まず第一楽章は……組んず解れつ、絡み合うようなピアノとヴァイオリン……そして危険なスパイシーさと苦味……」
頭で組み立てながら、手は動かす。ベッドの下から、薄い小さな木箱を取り出す。その中には、きっちりと器具によって几帳面に並べられた黒いアトマイザーが二〇本。底を確認しながら、記憶を頼りに探す。取り出した木箱の中にないとわかると、さらに次の木箱を取り出す。その中にも黒いアトマイザーが二〇本。
「たしかここらへんに……」
引き出して確認、を何度も繰り返して、「あ」という声と共に発見に至る。
「ありました、アマルフィレモンです!」
自慢げにニコルの前に精油を掲げる。心なしか目がキラキラしている気がする。
反対に、あまりにマニアックな物を見せられ、ニコルの顔が引き攣る。そして過去のブランシュの発言を思い出す。
「いや、何種類あるの……? てか、部屋にあまり荷物置きたくないとか言ってなかったっけ……?」
言われてキョトン、とした顔を見せた後、ブランシュは数秒考え込む。
「だいたい……二○〇種類くらいですね。プロの調香師は一五〇〇種類は持つと言われていますからね。まだまだです。それに、このためにパリに来たんですから、荷物というより仕事道具です」
これでも絞って実家から持ってきたんです、とそっぽを向く。
「……あんた以外に頼めないわ、これ」
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