308話
とはいえ、ジャズの演奏者がみなそうか、というとそうでもない。ジャズピアノでの完全即興演奏の第一人者、キース・ジャレットのように、聴衆に咳払いさえ許さないという厳格さを持つ者もいる。彼には拍手も指笛も厳禁。演奏のみが聞こえる静謐な空間、彼の演奏によって始まり、演奏によって終わる。それこそが彼にとってのマナー。
だがどうやら目の前の人物はキースとは違うらしい。今も揺れている。それを見てブランシュは短くまとめる。
「つまり、盛り上がるならなんでもいい、と」
ごちゃごちゃしたことは抜き。物事はできるだけシンプルに。音楽は体で表現するものだと、クロティルドは心に留めている。
「ま、そういうことになるかな。ジャズだろうとクラシックだろうと、楽しければね。自分の感性がどちらかというとジャズに近いだけだ」
どちらかを選ばなければいけない、という二択に迫られこちらにした。そしてそれは間違っていなかったと思っている。
「感性……」
自身の香りと音の能力。言い換えればそれはそういうこと、なんだろう。ブランシュはこれまでに作製した香水を思い出す。
果たしてそれはちゃんとブラームスの、ドヴォルザークの、サン=サーンスの、シューマンの想いを形にできているかわからないけれど。私の感性。それに嘘はついていない。
ところで話しすぎた、とクロティルド。音楽家ならもっと伝わる方法がある。
「とりあえず一曲やってみようか。なんだっていい。選びたまえ」
「んじゃあ私はドラムで。本職じゃないからあんまり上手くはないけれども」
流れるようにドラムスローンに座り、備え付けてあったスティックを握るマノン。見える景色がいつもと違う。偉くなった気分。それっぽくそれっぽく。
たしかにヴァイオリンは借りてしまっているけれども。まさかこうなるとはブランシュも考えていなかった流れ。
「ドラムもやられるんですか?」
ヴァイオリン、返したほうがいいのだろうか。そうなると自分はなにもやることはなくなるけれども。来た意味がないけども。




