290話
だが、それらをマノンは一蹴。
「あー、ないない。将来さ、なんかたまたまそのへんにヴァイオリンが置いてあって。で、サラッと弾けたらカッコいいじゃん? そーいうのでいいのよ。そりゃ入学前はプロとか夢はあったけど。やりたいことなんて変わる年代じゃん?」
ショコラティエールにフローリストに。パリの街を歩けば憧れてしまう。まだ結論は先延ばしでいい。そういう人生観。いわゆるフランス人らしい『それも人生』。
「やりたいこと……」
ずっと。調香師だけを目指してきたブランシュにとって、目標も目的も変わることはない。だが自信満々にそんなことを言われてしまうと。揺れる。揺れてしまう。
そんなつもりはなかったが、どうやら余計に困らせてしまった模様。どうしよう。ひとまず、この状況を打破しようとするマノンの提案。
「よかったら少し弾いてみる? 大丈夫、最初は普通に音出せたら才能ある、って楽器だから。クラシックなんて身構える必要なし。ギコギコしてみなって。ストレス解消になるよ」
そうして手を引っ張り、立ち上がらせてみる。こちらから見える景色。どうせなら触れてもらいたくて。
ヴァイオリン……を弾いてみたら? ということ? ブランシュの願いとは逆のほうへ。今はなにも。していたくないのに。
「いや、あの、私は——」
「クラシック、なんてカッコいい名前ついてるけど。結局はただの『音楽』なわけよ。場合によっちゃ食事も『音楽』。いい香りするね。この香水だって『音楽』。境目なんてない」
ラベンダーのような、そんな穏やかな香りに包まれていることにマノンは気づいた。自分も香水を使ってはいるけど。適当なところで適当に買った安いヤツ。なんというかこう、香りの質みたいなものが違う気がする。
空と大地の境目が曖昧なように。どこからが大地で。どこからが空なのか。触れている部分? 掘り進めたらそこも空? そんな答えのない自分だけの答え。
今まで考えたこともたぶんなかった到達点。ゆっくりとブランシュは噛み締めてみる。
「香水が……音楽……」
これまでやってきたこと。『香水』を『音楽』に。『音楽』を『香水』に。別のものだと考えていた。だがしかし。会ったばかりのこの人は。同じものと捉えるという。指先にとっかかりの感触。




