287話
いていい、とは伝えたものの、少女からすればそうされると逆にやりづらさを感じるもの。ならいっそのこと。
「そんな遠くじゃなくってさ。もっと近寄りなよ。どうせ誰もいないし」
「……」
ブランシュは無言でその通りに移動。でも自分の呼吸さえ邪魔してしまうのではないか、と過剰なまでに沈む。やはり来るべきではなかった、と思考。だがそもそも考えてここに来たわけでもなくて。いつの間にか。ここに。足が。勝手に。
ケースからヴァイオリンを取り出し、少女は試弾。今日の調子を推察。その途中に天井を見て今の状況を整理。
「ま、特に誰をやろうとかってないんだけどさ。キミ……って言うのは呼びづらいね。名前は?」
すぐにでも弾ける体勢のまま、質問を投げかける。ここに来ているってことは、なにかしら音楽に関わっているんじゃないか、なんて予想も立ててみる。道具がないところを見ると、ピアノ……ではなさそう。指揮とか?
「ブランシュ・カロー、です。すみません……練習の邪魔をしてしまって……」
ここでようやくブランシュの肺がしっかりと空気のやり取りをしだす。だが、言葉は尻すぼみ。自己嫌悪。その他マイナスなことがそうさせる。
ようやくちゃんと声を聞けた。少女はちょっとだけ笑みが溢れる。
「いいのいいの。どうせ本番て人がいっぱいいる中でやるわけだし。静かで緊張感のない中でやるよりかはさ。ひとりでもいたほうが練習になるじゃん?」
ついでに感想なんかもらえたら。だから彼女にとっては気になることでもない。むしろありがたいまである。
その明るさにつられて、一度深呼吸をしてブランシュも落ち着いてくる。
「そう、ですね。ではこちらで」
そして一番近いところに。純粋に楽しもう。そんな前向きな気持ちも芽生えてきた。少しずつ視野が広くなってくる。ヤマハのグランドピアノ。座席の背もたれの色。そういった感情の揺れ。余裕が出てくる。
雰囲気が和らいできたことは少女にも肌でわかる。さて弾こうか。の前に忘れてた。
「あー、私か。マノン・トリアドウ。ま、平凡に平凡なヴァイオリニストよ。プロにはなれないわね。わかってる」
今から弾くってのに後ろ向きな情報をつけてみた。初対面の人相手にいらなかったかな? でも最初に言っておいたほうがなんだかスッキリするから。




