275話
「お?」
反応するニコル。耳を澄ます。なんだかちょっと悲しい感じの、だけど綺麗で、でもやっぱり胸を打つというか苦しくなるような。喉元まで出かかっている、心からの感想が中々出てこない、みたいな。そんな曲。
五分弱の短い曲。今の自身の、友達を救いたいという気持ち。力になりたいという気持ち。今しか弾けない、今の自分だけのショパンをブリジットは奏でた。弾き終わったあとの手、指が、自然と胸の位置に。鼓動を感じる。祈りにも近いなにか。
「……ふぅ」
なんだかこうすることで、ショパンと繋がれている気がして。きっと私のことなんて、知らないんだろうけども。世界中から送られてくるんだろうけども。魂に触れる瞬間。
なんだかその空間を邪魔してはいけないと、聴き終わったニコルは数秒間、その姿を眺めていた。そして頃合いを見て。
「この曲は? なんか聴いたことあるかも」
最初のトリル部分とか。ハッピーな曲ではないとわかる。これぞクラシック、という感じな。命の炎の、最後の輝きような。ということはもしかして。
うん、と予想を察したブリジット。どう考えても二〇歳で作曲するなんてとても考えられないけど。
「これが『レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ』。とても美しくて、切なくて……苦しい曲」
鍵盤蓋を閉める。どうか今は空の向こうでも楽しく、ピアノを弾いていますように。そんな願いを風に込めて。
作曲した当時、ショパンにはグラドコフスカという片想いの女性がいた。その彼女への想い、決して順風満帆ではなかった恋の記憶。一五小節目の下降音型など、声にならない声を表現している箇所も多く、美しさと儚さを兼ね備えた『ノクターン 第二〇番』。
姉ルドヴィカのために作られた曲とされており、自身の『ピアノ協奏曲 第二番』の旋律を引用し、ノクターンの要素で小品を書いたというのが見解。
なんとなく。この丁寧で静謐な空間にニコルも襟を正す。曲であって曲ではない。魂、みたいな。そういったものがここにある。
「ほぉ。てか、ピアノだけでいける曲なの?」
前回はヴァイオリンの存在しない曲だった。ゆえに色々と大変だった部分と助かった部分。また今回もそういうのだとどうしようか。
それについてはブリジットが解説を加える。
「むしろ、ショパンはピアノだけの曲がほとんどなの。ただ、この曲はヴァイオリンで弾く人も、結構いる、かな。ピアノとはまた違って、素敵だから」
ウクライナ出身のヴァイオリニスト、ミルシテインによって編曲されたものも非常に有名。これもこれでまた違った余韻があり、聴きたくなるときがある。つまりショパンはやはりどんな時も最高。




