274話
そんな風に、ありがたいことに距離を詰めてくれている。ありがたい、こと。だから自分も。ショパンに恥ずかしくないように。そう、ブリジットは心臓のスピードを手なづけていく。
「……ニコル、なんかすごいやる気、だね。いつもは……なんか、風まかせって感じなのに」
ちなみに『ミストラル』はフランス南東部から地中海に吹く風。案外強い。自身の心にも吹いてもらおう。
そう改めて言われると、たしかに今まで自分がやったことと言われて、ニコルが思いつくことはなにもない。出来上がるのを待つだけだったから。
「いやー、ちょっとね。うちの姉が? どうやら? 今回はポンコツかもしれんのよね。困った困った」
だが不思議と焦りはない。なんとかなるだろう、と高を括っている。ならなくてもまぁ、なんとかなる。はず。そもそもが頑張ろうとしていたのはブランシュなわけで。自分は流れに身を任せる。
なぜ香水を作ろうとしているのかなどは、ブリジットは当然知らされていない。だが、ここまでの作製も趣味の範囲、というものでもない気がしている。
「それは……たしかに、困る、かな。ノエルのリサイタルもあるし、ヴィズは一緒にやるって言ってたから」
そしてそれを作り続けているブランシュ・カローのメンタル面。なぜ、作ることをやめないのか。なにか隠している……なんて考えたくはないけど。というか、隠してまで作るってのもよくわからない。きっと好きだから、だろう。
うんうん、とニコルも表情が渋くなる。
「そうなのよ。迷惑かけちゃいけない、って自分で言ってたはずなのに。もっと発破かけたほうがいいのかね」
「それは……可哀想、かな。元々はヴィズが勝手に誘った、って言ってたし。音楽はやっぱり……楽しいものだから。辛くなってまで、頑張る必要ない……って、音楽やってると、絶対に辛い時期って、あるんだけどね」
だがブリジットとしては、そんな『辛い時期』にしか出せない音もある、と信じている。ショパンの教え。毎回違うように弾くこと。それを自分なりに消化した結果。自分はそれも楽しめる。頑張れる。もしブランシュもそうであるなら。楽しんでほしい。手伝いたい。
なんにせよ、作れればニコルにとってはなんでもいい。
「ふーん……そんなもんかねぇ……」
なんだかピンときていない模様。これ以上はブリジットにも伝えられることは今のところない。なので。
「……」
ひとまずピアノを弾いてみる。音が風に乗る。このレッスン室を。小さな幸せが満たす。




