27話
「え、え?」
舞台を降り切って、驚いて振り返るブランシュの目に飛び込んできたのは、「どうぞ入ってきて」というようなヴィズの視線だった。誘うように、何度も冒頭を繰り返す。待っている、と言っているようだ。
「お、これ?」
曲は知らないが、なんとなくニコルも違和感に気づく。もしかしてこれが『雨の歌』か?
「いや、あの……」
ヴィズの意図に気づき、さすがにそこまでしてもらうのは気が引けると、ブランシュは尻込みする。ジリジリと後退り、出入り口まで背中向きで近づく。『雨の歌』はヴァイオリンとセットの曲。リサイタルでやることはない曲だ。
しかし、当のヴィズは気にも止めずに続ける。
「いいのいいの、別に曲を決めて弾いてたわけじゃないから。まだ曲目も決まってないし。第一から第三まで少し弾きましょう」
ここまで言わせておいて、そのまま帰るのは、さすがにそっちのほうが失礼、とブランシュはケースからヴァイオリンを取り出す。こうなったらどうにでもなれ。ループする瞬間に、音を滑り込ませる。
「……ありがとう、ございます」
小さく感謝し、音を重ねる。
三人しかいないホールに響き渡る『雨の歌』。まるで何年も寄り添いあってきたかのように、お互いの音にもたれかかり、相乗し、膨らみながら溶け合う。主題が変わると、ヴァイオリンは一気に花開き、天まで届くかのように高らかに歌い上げる。するとそれに呼応し、ピアノも同じくメロディーで対話する。
(この子……?)
共に高めあうヴィズは異変に気づく。和音の響きがいつもより細やかに粒だっている。その原因が、ヴァイオリンの音だと察知した。共鳴し、輝きが増す。
曲はさらに複雑に絡まり、熱を帯びて最高潮へ。高まりは最高潮に達し、そして……消える。そのまま最初に戻り、燃え上がった恋心を消し去るように、平静を取り戻して第一楽章は終わる。少し、と言いつつ、全部弾いてしまった。
(続いて第二楽章です……え?)
まず第二楽章はしっとりとした叙情的なピアノから始まる……はずだが、ブランシュはふとヴィズを見やる。
ヴィズは特に変わった様子はなく、まるでそのまま第二楽章を予定通り弾いているかのようだが、明らかに曲調が変化している。
「ん? 曲変わった?」
その変化は、クラシックには無知なニコルでもわかるほど。楽章が変わったとはいえ、明らかに醸し出す雰囲気が違う。
(バッハ『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』? なんで急に……?)
たっぷりと三○秒のピアノ伴奏のあと、静かにヴァイオリンが入る。元々はヴァイオリンと『チェンバロ』のためのソナタであったが、ピアノでの演奏も増えてきている曲だ。本来のチェンバロの繊細な音とは違い、艶のある色気を出すことができる。重苦しいほどのヴァイオリンと、両手に緻密に仕組まれたチェンバロパートを併せ持つバロック音楽。
四分ほどの第一番が終わると、無事終えたことに安堵したブランシュが、ゆっくりとヴィズに近づく。その足取りは、力が抜けたようにフラフラだ。数分間の演奏で持っているものを全て出し切ってしまった。
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