268話
「スコットランドの作家、ロバート・ルイス・スティーブンソンのエッセー集である『若き人々のために』ではこう語られている。《最も残酷な嘘は、しばしば沈黙で語られる》と」
ドイツ。ベルリン中心部のイーストサイドギャラリーを、貰い物のサンローランの黒いコートを着た少女、シシー・リーフェンシュタールは歩く。一・三キロにわたってシュプレー川沿いに建てられた、ベルリンの壁を利用した壁画ギャラリー。
国内外の著名なアーティストによって描かれたそれは、各々の形式で『自由』と『平和』を表現している。観光名所として名高い場所でもあるため、川と壁画を堪能しながら人々は緑豊かな芝生を歩く。冬のベルリンは突き刺すような寒さだが、寝転がって日向ぼっこを楽しむ者も。
ベルリンに住んでいる彼女には珍しいものではないが、時折こうやって歩くことで感性が刺激される気がする。楽しいものではない。だが、自分の今の位置を俯瞰的に見えるような。リセットの位置付けに近い。
よく晴れた日中の散歩。その少女の隣には、対極になるような白いコートを着た者が並んで闊歩する。
「『交際の真理』だね。でもなんで今その話? シシー」
少年とも少女ともとれるような、美しく危険な香りを放つのはサーシャ・リュディガー。くるくる、と回ったり飛んだり跳ねたり。自身もベルリンに住んでいるため、無料で遊べるここは何度も来ている。だが、彼女が一緒に歩いてくれるなら。それはどんな玩具よりも魅力的で。
シシー、と呼ばれた少女。柔和ではありつつも、奥に鋭い毒針を持っていそうな笑顔を撒き散らしつつ、すれ違う人達と挨拶。
「さぁな。ふと思っただけだ。別に深い意味はない」
彼女は。
美しい。
容姿も、声も。すれ違う陽気な観光客が挨拶したくなるのもわかるほどに。
横目で覗きながら「ふーん」とサーシャは唇を尖らせつつ、ひとつの可能性に行き当たる。
「あぁ、彼女? モンフェルナの。可愛いよね」
悪い笑み。それは楽しいことの始まり。
彼女達が通うケーニギンクローネ女学院では、姉妹校であるパリのモンフェルナ学園との交換留学が毎年行われている。誰でも行ける、というわけではなく、GPAという成績の優秀者のみ。女学院始まって以来の天才と名高いシシー・リーフェンシュタールは問題なく向かうことができた。
女学院側が裏にとある思惑を抱えた、イレギュラーな留学。たった一週間という短い期間ではあったが、充実した時間。それにはサーシャも『リディア』と名前を偽って同行させてもらっていた。




