262話
「はい。とても……とても、美しくて、切なくて、でも力強くて……本当に——」
ホントウニ。そのあとの言葉をブランシュは飲み込んだ。奥歯がカチッと小さな震えた音を立てる。自然と右手が胸を抑える。言えない。言うわけには。いかない。
その仕草。そしてこの選曲。ヴィズには引っかかるものがある。
「……なにかあったの?」
余計な飾りなどなく、ただ真っ直ぐな疑問をぶつける。濁りのない、透明な疑問を。
たしかにこの子は困ったことなんかは溜め込んでしまうほう。たまに発散するのも、自分達が主導したり。こうして音楽で解決できればいいのだけれども。眉を曇らせる。
なにか心配させてしまったかもしれない。反省。切り替えてブランシュは笑顔を作る。
「……いえ。ただ、弾きたくなってしまって。すみません、リサイタルまでもうすぐなのに」
ノエルの時期。パリ市内の教会にて、日替わりで作曲家別にピアノ専攻の生徒が数名招待されている。コンクールではないため比較的自由なこともあり、そこで一緒に演奏させてもらうことに。コンセルヴァトワールの講師も観に来るため、認められればその方々にヴィズも師事できるかもしれない。
だからこそ。邪魔をしちゃいけないのに。ヴィズ本人はその気もなさそうだが、それでもブランシュは足を引っ張ってはいけないと肝に銘じている。もう、あまり時間もないのに。
じっと見つめるヴィズ。先ほどの演奏もそうだけれども。この少女のヴァイオリンはとても深い音を紡ぎ出す。だからこそ、一緒にやってみたくなったわけだけども。
「それはいいけど。ま、なにもないならそれでいいわ」
リサイタル用の曲を合わせたかったが、今のこの子は精神的にズレが生じている。今すぐに治るかもしれないし、しばらく治らないかもしれない。少なくとも、がむしゃらに練習すればいいというものでもなさそう。今日はここまで。席を立つ。
その気遣いにブランシュも気づく。唇を強く噛む。
「ありがとう……ございます」
申し訳ない。その言葉が頭の中を支配する。迷惑をかけてばかり。ダメだ、こんなんじゃ。心の中がぐちゃぐちゃとして。少し荒々しさのある演奏。それもまた、悪いものではない。だけど、自分の音とはかけ離れていて。香りを音に変換できていない。もっと。儚く。奏でたいのに。身体が邪魔をする。
これ以上の会話は無駄、とでもバッサリと切り捨てるかのようにヴィズはその場を去る。声をかけて慰めるだけが友人じゃない。こういう付き合い方も。時には必要。舞台を降り、すり鉢状になった客席の階段を上り、出口を目指す。すると。




