253話
第五曲。『僕の想いを浸そう』。パルランド唱法から再度ドイツ唱法へ。最もシューマンのイズムを継承している曲という見方をする専門家もいるほど、悲しみと美しさを共存させている。強調させる部分と弱める部分。これをどう選択するか。
だがそれでも『優しく』『弱く』『軽く』『穏やかに』歌い上げることが重要。ブレスでさえ、より柔らかく。もちろんピアノにもそれは当てはまる。まろやかな輪郭を残すように、滑らかに弾き切る。
そして。唐突に舞台がライン川へと移る第六曲。『ラインの聖なる流れ』。聳え立つケルン大聖堂内部の、聖母マリア像の聖像画に愛する人を重ねるこの曲は、始まりからフォルテの強さと激しさ、ゴシック建築の壮大さと、ライン川の全てを巻き込むうねりをピアノで奏でる。
歌唱もしっかりと共鳴腔で響かせる。荘厳さと偉大さ、そして聖母マリアの華厳さ。ここまで溜め込んできた、鬱屈で靄のかかった感情を吐き出すように強く歌い上げることで、ひとりの人間の儚さと対照する。
中盤で一度、音量を弱める部分があるが、小さくしすぎてはならない。大聖堂の伽藍の内部、壮大さに圧倒されているだけなのだから。そしてその後終盤にかけて、再度フォルテ。マリア像に恋人を当てはめて確信を持つ。中世によく見られた民間信仰。やはり恋人は素晴らしい人なのだ、と。
そしてピアノで締めくくられる。恋の喜びと青い興奮。それがこの『詩人の恋』の第一部。ルノーは身構える。
(……圧巻だ。歌曲はあまり専門ではないが、彼女の表現力は頭抜けている。彼女は一体……そしてここからが失恋の苦味の第二部。どうやって——)
「……終わりにしようか。ピアノは素晴らしい。俺以外にも弾いてもらって確認してください。やはり俺はピアニストじゃない。ただの真似事だ」
そう告げてシシーは立ち上がった。静止した世界の中で彼女だけが時間を得る。
「……え?」
先を想定していたルノーは呆けて唖然とした。え、終わ……り?
突然、まだ曲の三分の一を過ぎたところで終曲宣言。曲のことをよく知らない閉店作業中の聴衆達は、テンポ遅れて拍手。気づけば喝采。数十人はいた。指笛なども鳴らして祝福する。どこかルノーと同じく「え? 終わり?」というような戸惑いもあるが、それでもいいものを聴いたと上機嫌。
二階で立ち聴きしていた人々に手を振るシシー。それも様になっており「あの子、女優?」という声も聞こえてきた。間違ってもおかしくないほどに煌めいた姿。
「悪くない気分だ。楽しかったよ」
ピアノにキスをしたいくらい。シューマンが少し乗り移ったかな? とご満悦。




