252話
終始緩やかな第二曲『僕の涙は溢れ出て』。恋をした詩人の切ない恋心。歌唱部はどちらかというと『歌う』よりも『朗読する』に近い。いわゆるパルランド唱法。涙から花が芽吹き、ため息はナイチンゲールの歌声となる。そんなドラマチックな詩をイメージして。
この曲はシューマンからも「速くなりすぎるな」という指示が書かれている。そして重要な歌い方として『音の弱さ』が挙げられる。第一曲よりも前向きに恋というものを捉え、逸る気持ちを抑えられない。ト長調の安定感と、それでもまだどこかに残る不安を表すピアニッシモやデクレッシェンド。
そしてそれは第三曲『バラ、ユリ、鳩』にも繋がる。この曲は三〇秒ほどの語り。だが指示の通りであれば生き生きと。リズミカルに。次第にリタルダンドして窄まっていくが、ピアノの後奏により華やかさのある後味。確信を得たかのような晴れやかさも八分音符で表現している。
調律した部分は問題ない。グロトリアンには少し緊張もあったが、ルノーはピアノを中心に聴いている。が、歌とピアノが対等な位置にあるシューマンの曲。自然とそちらと比べてしまう。
(ここまでがまず、恋心の訪れの前半部、と言っていいだろうね。さらに加速していく情熱。さて、どう歌い切るのか)
その視線をシシーは見ずとも肌で感じている。さぁ、みなさんで楽しんでくれ。
警備員なども仕事そっちのけで気にしだしている。付近から動かない。ジリジリとむしろ近づく。もっと歌声を聴きたい。ピアノを感じ取りたい。まるで自分の青春時代を思い出すように。なにかが溢れてくるような。
そして第四曲。『キミが瞳にいる時』。燃え上がる恋心。語る歌声に起伏はあまりない。しかしピアノは微妙な転調を繰り返し、心の揺れを描く。口づけを交わし、愛の言葉を囁く。声を大にして歌いたいところだが、ひっそりと。
一番難しい、と言われるのは第一曲だが、一番重要と言われるのはこの第四曲。それほどまでに繊細な内部に、どれだけ技術と心を込めることができるか。クレッシェンドひとつで受け取る印象は変わる。デクレッシェンドでより世界は深まる。スタッカートは? リエゾンは? 自分なりの答えを持っているべき部分。
詩人と女性、二人の会話を演じ分ける演技力。温かみのある長調のハーモニー。冷静と高揚。これもたった一分半の歌の中に、これでもかと畳み掛けるかのように流れ込んでくる感情。




