243話
「これはすごいね。グロトリアンのキャビネット。これがストリートピアノとして置いてあるなんて」
まるで誕生日ケーキでも前にしたかのように、表情を輝かせる社長のルノー。サロメから強制的に行かされたようなものだったが、珍しいピアノに出会えて心拍数は上がる。
たしかにグロトリアンはあまり見かけないけれども。依頼主のベルにも予想外なリアクション。
「そんなすごいんですか?」
メーカーが売り出しているグランドの中では最も小さいサイズではあるが、それでも歴史を感じる圧力はある。詳しくこの業界をルノーは説明する。
「基本、ストリートピアノはアップライトが主だからね。グランドがあるところにはあるけど、それでもグロトリアンほどのものが置かれることは本当に珍しい。普通にアトリエに欲しいくらい」
しかもかなり弾かれていて、いい感じに成長している。ピアノに貴賎なし……と言いたいが、デパートの片隅に置いておくには勿体無いくらいに上等な代物。
「そうなんだ……あんまりそういうところには詳しくなくて」
家のやレッスン室、ホールのピアノくらいしかほとんど弾いたことはないベルには、勉強になる事実。
ストリートピアノを本格的にピアノを習っている人が弾くことはあまりない。少し齧ったことがある、昔やっていた、配信用などが多数を占める。ルノーも納得。
「まぁ、用意されたピアノでやるしかないからね。グロトリアンを置いてあるホールも音楽院も少ないんじゃないかな。このメーカーは調律が特に難しいから」
その発言にイリナが食いつく。
「というと?」
その調律が行われていないおかげで危うく奢りになりかけた。理由をはっきりせねば。
一歩後ろに退き、全体を見据えてルノーは挙げる。
「主に二つあるね。『ホモジェナンス・サウンドボード』と『クロマティカリー・レギュレーテッドスケール』。いわゆる響板と、ハンマーが弦を打つ打弦点。恐ろしいほどに計算し尽くされた構造で、熟練の調律師でないと本当の力は引き出せない。ま、それはどのメーカーにも言えることだけど」
ヤマハにはヤマハの。カワイにはカワイの。各メーカーには調律方法が存在する。その中でも特に繊細と言えるかもしれないグロトリアン。はっきり言って、長年続けてきていても全部引き出せるかはわからない。
そういえば、とヴィズが辺りを見回す。
「ところでカルメンは?」
いない。閉店まではまだ時間がある。フロアでも見に行った?




