239話
それを無視し、空いたピアノに向けて歩くカルメン。こういうのは放置。どうせ私が勝つ。だが。
「じゃあ順番は適当に——」
鍵盤を押したところで動きが止まる。なんの曲にしよう。そんなことを考えながらだった。鍵盤、その感触。そして無言でじっくりと思案する。
急に黙りこくった彼女に対し、不思議そうにイリナは声をかける。
「? どうした?」
他にも弾きたい人達もいるかもしれないし、カフェにも行きたい。仕事や学校終わりにはカフェ。そういう国民性。
全員の顔色を窺いながらカルメンは決定する。
「……私はモーツァルト。ヴィズはバッハ。ベルはハイドン。イリナはショパンでいこう。同じ作曲家じゃつまらないし」
そう。これは聴衆のためでもある。違いがあったほうが楽しい。それだけ。うん。
多少の疑いはあれど問題はない。目を細めるイリナだが、相手の用意した土俵で勝つのもまた爽快。
「なんであたしだけ時代が違うんだよ。ま、いいけど」
ショパンなら『黒鍵のエチュード』か。黒鍵だけというのが聴いている側も盛り上がるだろう。いや、白鍵も実はあるんだけどね。
その姿に一抹の不安がよぎるヴィズ。カルメンの意図が読めた。
「はぁ……全く……」
とはいえイリナには悪いが一歩リードしたことに変わりはない。幸か不幸か。イカサマを使った勝利。勝利というのもざっくりとした基準だけれども。
いまいち事態を把握できていないベルは詰め寄ってヴィズに耳打ちをする。
「? どういうこと? なになに?」
なにやら陰謀が渦巻いていることはわかった。が。どういうこと?
できれば気づいてほしかったが、知らないほうが悪い、というのも事実。ヒントを小出しにヴィズはこっそりと教える。
「モーツァルト・バッハ・ハイドンとショパンの違いは?」
いずれ劣らぬ巨匠達。クラシックを進むに避けては通れない。しかし明確な違いは存在する。それが今回の種。
どれも弾いたことはベルにもある。彼らの違い。
「古典派とロマン派? なんで?」
よく言われるのは、古典派は『音楽』を追求し、ロマン派は『内面』を追求したということ。とはいえ、全く別物というわけではなく、似通った部分なども多く存在する。
続くクイズでヴィズは少しずつ答えの輪郭に近づけていく。
「年代は? 古典派とロマン派の時代はどう?」
「古典派は……一八世紀後半くらいで、ロマン派は一九世紀中頃……かな」
数十年は被っている期間はあるのだが、ベルの記憶通りだいたいはそのあたりになる。この頃はバロック、古典、ロマンというクラシックの主となる様式が並び立っており、礎はこのあたりで出来上がっている。




