233話
この人に任せておけば、きっと素晴らしい歌曲になる。そんな確信を持ちつつもブランシュの表情は曇ったまま。
「では、ピアノをどなたかにお願いしては——」
「もちろんそれもアリだけどね。このほうが面白いだろう? 俺は基本的に、面白いと思ったほうを選ぶからね。そちらのほうがいい、と感じたらそちらを選ばせてもらうさ」
基本的にシシーはピアノをイリナに、歌唱をヴィズと声楽科の生徒に習っている。最初のうちはピアノはお任せしようと思っていたが、想像以上に滾るものがある。シューマンの力とは怖いね、とどこか楽しげに。
「……なぜ、ここまで手伝ってくださるんですか? メリットも……そんなにあるとは思えないのですが」
沈み込んだブランシュとは正反対に、楽しげにこの切ない曲を演じてみせている。どうして? なにか渡せるものなど、自分にはないのに。
ピアノの蓋を閉じ、立ち上がるシシー。妖しい目線を投げかける。
「言っただろう? 俺が面白いからだ。ブランシュさんは関係ないよ。他にもまぁ、色々とやりたいことはあるが、俺は欲張りなんでね。誘ってもらったことには感謝しかない」
それは本心。そうでなければ近づくこともなかったかもしれない世界。多少なりとも広がった手応えはある。
彼女から香る香水。マリーゴールドとジャスミンサンバッグのかけ合わさった、優しくて穏やかな香り。少しでも知りたい。彷徨うようにブランシュは半歩近づいた。
「……どうして」
どうしてそんなに強いのだろう。きっと彼女なら、音と香りからイメージが感じ取れなくなっても、すぐに切り替えて何事もなかったかのように振る舞えるのだろう。
香りを求めて彷徨う姿に、余裕を持ってシシーは応える。
「ふふ、キミは本当に香水が好きなんだね。今の俺は。どんな曲がイメージできるのかな?」
より接近。濃厚で清涼な風が吹く。存在感と合わさり空間に香りが満たされる。
それでも。いつもなら瞬間的に曲に支配されるブランシュからは吐息が漏れるだけ。
(またです……なにも……浮かばない……音から香水だけではなく、香水から音も……)
俯いて肩を落とす。わからない。なにが原因で、なにが引き金になったのか。こんな時に。時間がないのに。
違和感を悟るシシー。彼女の呼吸がいつもより激しい。まるで焦り。
「? どうしたんだい? もしかして——」
ひとり「なるほど」と納得。しかし感情は穏やか。笑みさえ浮かべている。




