23話
「いや、ないない。適当にネットで有名な曲調べたんじゃないの?」
そんな気分をぶち壊しにするようなニコルの発言。手を振って否定する。孫に無理難題をふっかける祖父のことは、カリスマではなくただのおじいちゃんとしか見ていない。
ブランシュは少しムッとする。
「そんなことはありません。見てください、ほら、六年ほど前の月刊パルファムには《寝る前にクラシックをレコードで聞く時もある》という記事があります。つまり、なるべくしてなったテーマなんです」
また、開き慣れた手つきで、ブランシュはお手製のファイルを開いてみせる。何度となく読み込んでいるため、本来なら開く必要もないのだが、この不届き者に証拠をしっかりと見せたいらしい。ぐいっとニコルの顔面に近づける。
「怖いわ。もっと俳優とか、アーティストとか追っかけなさいよ。なんで七○近いじいさん追っかけてんのよ」
「私にとっては、一番素敵な男性なんです。この記事ひとつひとつが宝物です」
そういう言って、使い込んで少し痛んだファイルを大事そうに抱えるブランシュの顔は、恍惚のようだった。
まだ恋というものを知らない、いたいけな少女に、祖父がものすごく悪いことをしたようで、ニコルは罪悪感を感じた。もっと年の近い、ファッションとかデートスポットとか話し合える男の子と、じいさんより先に知り合えればよかったのに……。
「そ、そうなのね。まぁ、好みは人それぞれだから……」
とはいえ、恋愛に年の差は関係ないだろう。そもそも恋愛じゃないだろうし、ただの憧れに過ぎないのだから、人に迷惑をかけない限りほっておこう、とニコルは決めた。自分のじいさんというのは……まぁ、複雑だが。
ファイルを丁寧にカバンにしまい、今度は唸りながらブランシュは考え込む。
「しかし……どんな香りをイメージすればいいのか……まだ、花とか食べ物とか入っていれば、イメージは多少なりともできたのですが……悲しいとか、形のないものですからね」
悲しみは一口に言っても、辛いことがあって泣くような悲しみだったり、悲しみから抜け出そうとする希望であったり、感情を明確に測る物差しがないため、抽象的になってしまう。レモンに爽やかな明るいイメージを持つ人もいれば、欠陥品という意味もあるため、あまりいいイメージを持っていない人もいるように。
「音から香りってよくわかんないわね、たしかに。違う五感じゃないの」
「ですが、『共感覚』というものを持つ方も中にはいらっしゃいますから、あながちおかしい話ではないかもしれません」
「なにそれ? もっかい言って」
初めて聞く、なにやらカッコいい単語にニコルは反応した。目を輝かせる。そういうアニメとかはかなり好き。
「『共感覚』……五感で得た情報を、他の感覚と共有してしまう症状だそうです。例えば、バラの香りが赤い色で見えたり、鳥のさえずりがコーヒーの香りがしたり。完全な解明はされていないそうですが」
「ふーん、不思議なもんねぇ……てか! それならヴァイオリンやってて、共感覚持ってる人、学園にいないの!? それで終わりじゃん!」
バンザイしながら「終わったー!」と、ご機嫌に伸びをするニコル。音楽科のある学校に来てよかった、と自分の運の良さを賞賛した。
しかし、反対にブランシュは険しい表情を崩さない。
「探すだけ探してみますが……かなり珍しいものですし、いたとしても結局、香りの詳しい配合まではわからないでしょうから。自分達で予想をつけた方がいいと思います」
言われてみて、たしかに……と、ニコルは頭をお花畑から元に戻す。グビッとミネラルウォーターを口に含み、全身に行き渡らせるようにゆっくりと飲み干す。そして深呼吸。
続きが気になった方は、もしよければ、ブックマークとコメントをしていただけると、作者は喜んで小躍りします(しない時もあります)。




