229話
どこかで勝手に自分の名前が悪用されている。そんな悪寒をベアトリス・ブーケは察知した。そんな時は。
「残念。閉店時間だ。また来てくれ」
パリ八区の花屋〈Sonora〉では、絶対的な権力を持つ店主の少女。店のエプロンを身につけ、使ってみたい花もある。様々な花のアレンジメントが占める店内。だが今日は店を閉めたい気持ちが勝つ。
「おーいおーい。まだ一六時過ぎだよ。今から今から」
そこへ入店してきたばかりの男性、ギャスパー・タルマが落ちた気持ちを盛り上げようと発破をかける。確実に自分の顔を見て閉めることを決めた。間違いない。
そんなことを言われても、嫌なものはイヤと言える国民性。冷然としたベアトリスは手際良く閉め作業。
「悪いがウチの開店時間と閉店時間は私次第なんです。午前中だろうと気が乗らなければ終わり。今日はあなたの顔を見た瞬間に閉めたくなったのです」
言葉は丁寧だがバラの花のように棘が多い。本心からだった。どうせロクなことではない。ならば無視が一番。
「祖父として、頑張る孫達の応援したい、って気持ちわかる? それを手伝ってもらいたいんだけど」
その茨道を堂々とギャスパーは突き進む。前へ前へ。ラグビーの合言葉。
勝手に店中央の木製のイスに座られたことを確認しながらも、ベアトリスは明日使いたい花を脳内でピックアップ。あとで父であるリオネルに電話して、早朝のランジス市場で買ってきてもらおう。
「応援するなら、花よりもお菓子だの飲み物だのの差し入れのほうがいいんじゃないか? 『褒められるよりプリン』という諺があるだろう。若いのは実益のほうが喜ばれるぞ」
花屋を経営しつつもお菓子は好き。もらうならお菓子、という時も個人的には多かった。
長年の付き合い。そう言われると思っていたギャスパーは手土産を用意していた。
「あ、そっちもぬかりはないよ。仕事ついでにドイツでクルト・シェーネマンのショコラを買ってきたからね。キミにも」
テーブルの上に箱をそっと置く。若くしてフランスの国家最優秀職人章を獲得した、ドイツの若手ショコラティエ、クルト・シェーネマン。新作らしい紅茶のショコラーデ。うちのひとつはこの店に。
ちなみに通称M.O.Fと呼ばれるその章は、フランス人ではなくても獲得できる。が、食に関する審査は恐ろしく厳しく合格率は一パーセントに満たないことも。長い期間と準備を必要とするため、精神的にもタフでなければ続けることはできない。




