220話
「久しぶりです、普通に香水を作るのは」
その日、ブランシュは一日上機嫌だった。ランチをニコルに奪われても。ニコルが勝手に隠しておいたお菓子を食べてしまっても。ニコルがその他色々とやらかしても。ここ最近のモヤモヤと鬱屈した気持ちが少しだけ、消え去ったような気がして。
「やっぱり……香水が好きなんですね、私は」
再度確認できた。クラシックに傾倒しすぎていたのかも知れない。いや、それを通してできた友人達もいるわけで、当然そちらも楽しい。だが、元々は調香師を目指しているのだ。本質を見失っていたような。奥底に眠ってしまっていた感覚を取り戻せたような。
数多存在する香油。それを組み合わせることで無限に変化する香水。ココ・シャネルも言っている。「ドレスはあなたを一番の敵に向かわせる」と。つまり、身に纏うもので全ての気分は変わる。香りもそうだ。服だけじゃない。
頭の中で音楽を奏で。それをイメージして香水を作り出す。答えも正解もない、自分だけのオリジナル。スケルツォ・タランテラ。毒蜘蛛が元の名前の由来、ともされているが、イタリアにタランチュラがいるのかはわからないそう。なんにせよ不思議な話だ。
「結局、いくつも説があるそうなんですよね」
音楽は技術、が全てではない。ハイフェッツの師であるアウアーは、弾き方を教えるよりも『なぜその曲を作曲家は作り出そうとしたのか』ということを弟子に考えさせたとのこと。構造や理解を重視し、どうやって弾くかよりも『どのように自身は表現するか』を追求した。
演奏が全体で何時間とかかるような大作も。一分もかからないような小品も。真摯に向き合うこと。ギャスパー・タルマの課題にも。ちょっとだけ頼まれた依頼にも。それこそがブランシュの根幹を成す——
「——あれ?」
ベッドの下からいくつもケースを取り出し、広げる。その中には大事な香油が入った黒いアトマイザーが無数に整列されている。柑橘類といったメジャーなものから、アニマル系の珍しいものまで。見ているだけでも楽しい、彼女の宝物。見ているだけで、様々な組み合わせに心躍る。はずなのに。
「……どういう、感じで作ってましたっけ?」
なにも感覚がない。おかしい。もう一度スケルツォ・タランテラを奏でる。ピアノとヴァイオリンの激しい奔流。体が本当に踊ってしまいそう。なのに。
「……もう一回」
もう一度。二度。三度。指は動く。ピアノの音もよく聴こえる。それでも。
「……なにも、香りを感じません」
一切のイメージが湧かない。頭の中だけだから? いや、今までもそれで作ったことはある。脳内で響かせるだけでもいくらでも候補が出てきた。なのに。焦りが出てくる。




