211話
ピタッと止まるとカルメンはもと来た道を戻る。
「ぶー」
頬を膨らませる。が、そういえば話には聞いていたその選び方。見るチャンス。食い下がることもなくあっさりと元の位置へ戻り背筋を伸ばす。
多少の余裕がブランシュにも帰ってきた。確実な足取りで階段を上る。
「すみません……シシーさんもこちらのほうが楽しんでいただけるかと」
そして目の前に立たれたシシーはそこから推測する。香りを音に。決められた曲、ではないということは。
「へぇ……その時の感情によっても、香りから得られる曲が違う、ということかな? 面白いね」
もうなにもかもバレているなら話は早い。ブランシュはケースを開き、その中から使い慣れたヴァイオリンを取り出す。
「その通りです。シシーさんの香水、その曲を弾きます」
カシュメラン。そしてそれ以外にも感じた、甘く妖艶な。誘っておきながら「また今度」と、去った後に残り香だけがある、そんな小悪魔な。
噂だけで済ませていたのはヴィズも一緒。その機会がなかったわけだが、ついにここで。
「これが本来のブランシュ。実際に見るのは初めてだわ」
今までのように決まっていた曲を演奏するのとは違う、完全な無意識下で選曲される自由なスタイル。コンクールなどとは真逆な、あの子だけの。
「なるほど。はい、どうぞ」
香水は時間と共に香りは変化する。今の自分は、彼女にはどう捉えられている? シシーは抱くようにして香りを提供する。
密着されて困惑しつつもブランシュは感謝。
「……ありがとうございます」
いきなりでドキドキする。きっと母校では王子様のような存在なのではないだろうか。そして香りに集中。
(……甘く芳醇なマルメロの香り。そして今の私の——)
とろけるような目つきで見上げる。至近距離で目が合う。
「どう?」
息がかかるほどの近さだが、それでもシシーの心臓は平常。まるで慣れているかのように。
かたや慣れていないブランシュは焦りながら離れる。心拍数はハネ上がっているし、まともなメンタルではない。リセットの意味も込めて大きく息を吸い込み、構えをとると、シシーから耳のことを言われたことを思い出した。が、そのまま弾き始める。
情感溢れる、まるで子守唄のような優しいメロディ。本来ピアノの伴奏とセットで演奏されることの多いこの曲。ピアニスト達はすぐに気づく。
今はソロであることは重々承知だが、ヴィズの指が自然と動く。
(パラディス『シチリアーノ』。なんの香りなのかしらね。しかしそれにしても——)




