200話
『音楽の重力』『音楽の緩急』と呼ぶ専門家もいるこの現象だが、ならば歌と楽器ではどうなるか? 役割の違うふたつであるため、どちらかがどちらかに合わせることが最善、とはならないのが音楽の魅力でもある。
音が減衰していく楽器と、その後も繋ぐことができる歌。その歌を楽器に合わせてしまうとメロディーが途切れてしまうため、聴くに耐えない曲となってしまう。そのため『揃えないバランスの舵取りをしながら歌う』という能力も声楽科には求められる技術。
「ある程度はできるとして。そしてブランシュはそれで充分て言うでしょうけど」
優しい、優しすぎるがゆえに。もっと頼ってほしいヴィズだが、なかなか強制するのも難しい話。コンクールがあるわけでもない、答えのない香水という世界。変に口を出すこともできない。
だがピアノに新しい息吹を吹き込むという意味で、カルメンは並々ならぬ情熱を持ち合わせている。
「そんなのダメ。あの子の作る香水は私達で支えるの」
そしてそれは新しい自分のピアノを見つけ出せたイリナも一緒。
「その通り。ここまで乗り掛かった船なんだから、あいつの……考えうる最高のものを作らせてあげたい」
『死の舞踏』を乗り越え、ひとつ階梯を上げることができた。それは紛れもなく彼女のおかげでもあるから。いや、八割は自分のおかげ。〇・五割くらいはあのやかましい調律師の。
ピアニストとして気迫、オーラのようなもの。それがヴィズの肌に刺さる。
「……イリナ、あなた少し変わったわね。たしかにブランシュには力になりたいとは私も思うけど、あなたからはそれ以上に」
全てを賭けて。そんな優しくも力強い色。
多少の恥ずかしさも感じつつ、イリナは天井を見上げる。
「……ま、感謝だよな。それだけ、じゃあないけど」
反響を最高のものに仕上げる、湾曲した反響板。ここで弾けることは幸せ。
「雰囲気悪くなるからもう、あーはならないで。めんどくさい」
そこに辛めのコメントを挟むカルメン。口喧嘩の相手が弱そうだとつまらない。
ギロっと目線を移すイリナ。こいつはいつも逆鱗をゴリゴリと削りにくる。
「あ? 今、いい感じなんだから結果オーライだろ? ピアノには感情が必要なんだよ、少なくとも鉄仮面のカルメンよりは、揺れる男女の恋心を上手く弾ける」
「経験もないくせに」
「やるか?」
ヒートアップする二人を「やめなさい」と呆れながらヴィズは制する。最高級のピアノ、ホール。この環境で低レベルな争いは相応しくない。




