20話
「いえ、正確にはこの曲は雨がモチーフというわけではありません。かつて作曲した『雨の歌』という歌曲があるのですが、そのメロディを、このソナタの第三楽章に引用したことがきっかけで、『雨の歌』と呼ばれるようになったわけです」
「なんでそんなことしたの? いい曲だったから再利用しよう、みたいな?」
指についたガレットを舐め取りながら、率直な疑問をニコルは呈する。
「そもそもが、元はブラームスの友人が書いた詩に曲をつけた、というものなんです。この歌曲を、恩師であるシューマンの妻、クララがとても気に入った、という逸話があります」
エスプレッソを一口、ブランシュがすする。苦い。そう、この曲はここからがビターな味わいになっていく。
「シューマンてなんか聞いたことあるわね。で、それがなんで違う曲の第三楽章に?」
「実はこれ、シューマンの死後にクララへ当てた、ブラームスのラブレターだと言われています。気に入っていたからこそ、もう一度使ってみたそうなんです」
「おっほ! 未亡人狙いか、やるねぇ」
身を乗り出して聞きいるニコル。こういった話は好きなようだ。人の恋愛話ほど、彼女にとっていいネタはないらしい。
「なにがですか……しかし、これは叶わぬ恋の歌であるとも言われ、楽しい曲では……ないですね。しかし、希望に満ち溢れる曲とも」
以前、譜読みをしていて、ブランシュが感じたのは『悲しみ』であった。曲の構成が、どうもブラームスの空虚な心を表現しているような、そんな気がしたからだ。激しく、荒れ狂うようなフレーズも、甘く、まどろみの中にいるようなパッセージも、どこかそれを冷静な視点でブラームス自身が見ているような、全てが彼の夢であるかのような、読んでいて苦しくなった。
「なんで? 別に夫が亡くなったのなら、問題ないんじゃない?」
もっともな意見をニコルは言うが、ブランシュの表情は浮かない。そのまま解説に移る。
「詳しく見ていくと、第一楽章はピアノにヴァイオリンが寄り添う明るく軽快なメロディで、まるで空に向かって飛んでいくように、広がりを見せます。そして、それが最高潮まで高まり……何事もなかったかのように静かに元に戻るんです」
「……どういうこと?」
俯いて、深く考え込みながら、ニコルは難しい顔をした。やはりクラシックはわからない。直接ではなく、楽器や曲を通して心情を訴えるというのが、彼女には向かないらしい。
自分なりの、ではあるが、ブランシュは解釈を説明する。本人達が生きていない以上、本当のところはわからないが、多くの一般的な解釈と意見は一致していた。
「ピアノとヴァイオリンをそれぞれ、クララとブラームスに見立てているんです。ブラームスは燃え上がるような恋をしているのですが、諦めなければいけない、と冷静になります」
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