199話
「さて今回は。誰が弾く? あたしはいけるぞ」
指を忙しなく動かしながら、ピアノ専攻の少女、イリナ・カスタが同じ空間にいる少女二人に問いかける。
モンフェルナ学園、音楽科ホール。コンクリート打ちっぱなしの外観。中に入ると、学生証のICチップに反応して開くフラッパーゲート。その先の重厚な扉を開けると、世界でも屈指の設備を施されたクラシック用のホール。
その中は三六〇度すり鉢状になっており、その中心には階段五段ぶんの高さの舞台。演奏するピアノにスポットライトが当てられている。取り囲むように少女三人。古代ローマのアンフィテアトルムから着想を得たという、客席がステージを円形に囲むホール。
「あなたは前回弾いたでしょ。少し落ち着きなさい」
とりわけ冷静に物事を処理するヴィジニー・ダルヴィー、通称ヴィズは場を宥めた。一度イリナに引き渡せば、寿命が終えるまで弾き続けそうな鼻息の荒さ。スランプを克服したらしく、勢いは彼女が一番ということは理解している。
それに噛み付くイリナ。言われたことは根にもつタイプ。ニヤリ、と一歩近づく。
「自分で言ったんじゃん? 『連続で弾いてもいい』みたいなこと。でも今回は——」
「シューマン『詩人の恋』。そこまでピアノの難易度は高くないし、むしろ歌のほうが厄介」
勝手にイスに腰掛ける少女、カルメン・テシエ。間をとって私が、と決めつけて演奏に入ろうとする。一六曲からなる歌集。シューマンの歌曲は、シューベルトの頃に比べてピアノの重要性が増している。どちらが上も下もない。ふたつでひとつ。
「一応、声楽科にも知り合いはいるけど、ドイツ語の発音やらなにやらを完璧にできるヤツなんて……講師ですら難しいぞ」
ピアノは難しくはない。『雨の歌』『新世界より』『死の舞踏』、それらと比べても易しい部類には入る。ピアノ協奏曲ではないのだから当然といえば当然だが、歌う者との呼吸をイリナは重要視している。
シューマンの代表作でもある『詩人の恋』は、非常に揺れ動く。恋心を音楽で表現している上に、作曲家史上最も恋愛に重きを置いたと言っても過言ではない。
楽器だけであれば、音というものは揃えることでいわゆる『正確な演奏』と呼ばれるものになる。楽譜通り、審査員の好みはあれどコンクールなどでは好まれる演奏。そこを重点的に審査する場合もあるため、正確に弾ける、ということはプラスにはなれどマイナスになることは少ない。
だが、音楽には『揃わない』という良さがある。同じ音符であっても、曲には『どこをピークにするか』『本当に伝えたいか』という命題が存在し、そこに向かって曲は流れる。その部分ではあえて、均衡を破るような『なにか』が隠れていることがある。




