197話
唇に触れてシシーはそれらを噛み締める。
「なるほど。そうきたか。俄然楽しみだね」
そういうのもあるのか。世界は広い。
あっさりと理解されたことに、安心しつつもニコルは疑問が浮かぶ。普通はすんなり進まないはず。
「……たまーにいるんだけどさ。なんでそう、飲み込みが早いのかな。聴覚と嗅覚が繋がっているって理解できなくない?」
実物を見聞きするまでは。いまだに自分もよくわかっていないのに。
だがシシーにとってはそこまで衝撃のあることではなかった。というのも。
「まぁ、不思議ではあるね。だが、嗅覚を違った形で表現できる人物。それに心当たりがある。ブランシュさんだけじゃないんだよ、そういう人間は。俺にはわからない世界だけどね」
「……!」
にわかには信じられない事実。ブランシュも言葉を失う。自分以外にも……いる?
先に声に出したのはニコル。唯一無二かつ使い道のほぼないであろう特技。それを持つ者。
「え、他にも? こんなぶっ飛んだヤツが?」
これは僥倖なのか……? 協力してくれるならありがたい話だが……慎重に。
シシーですら舌を巻く能力。それに比べたら自身は凡人、と言い切れる。
「あぁ。その子は音楽ではない。紅茶で表現できる。彼女の前では嘘をつくことができないんだ、嗅覚で全てバレるからね」
「こ、紅茶……?」
全く想像の範囲外の選出に、ブランシュの表情が崩れる。そう考えたら、音にすることができる自分が一般人にさえ思える。それに嘘を判別する力もない。よくわからないが「負けた」と少し落胆。
香りという、明確な答えがない世界。だが、心に刺さる解答。一度体験したことをシシーは思い出す。
「その人物に合った紅茶とお茶菓子を提供できる。可愛いだろう? 是非ともブランシュさんとの邂逅を見てみたいものだ」
嗅覚を『音』にする能力と『紅茶とお茶菓子』にする能力。全く予想のつかない結果になるだろう。共通の認識とかあるのかな? どんな会話をするのだろうか、など興味はある。
たぶん、手伝ってもらうことはないだろうが。一応、どこかで会った時のためにブランシュは聞きだす。
「その方のお名前は……」
彼女の笑顔を思い浮かべたシシーは、その名を口にする。
「アニエルカ・スピラさん。今回の留学にも来ている。悩みがあるなら彼女に聞いてもらうといい。充実したリラックスタイムを提供してもらえるだろう」
たっぷりの日差しを浴びて光合成のする植物のように、ニコニコと満面で喜色を表現する。パリに来てから楽しいことばかりだ。
諦めのような。戸惑いのような。そんな濁った感情でニコルは声をかける。
「……あんたと同じような人間がいるなんてね。世界は広いというか」
その先のブランシュも、驚きが勝る。もちろん、自分だけが特別な存在、と浮かれていたわけではない。ないが、同族に出会えたことにまだ歓喜という感情が追いついてこない。
「相手の感情を読み取るというのは自分にはできません。鋭さ……といいますか、感性でいえばその方のほうが上……だと思います。どういったものなのかよくわかりませんが……」
紅茶。相手の香りを嗅いで、その方に合った紅茶とお茶菓子を用意する。ダメだ、全くもって想像もつかない。どういう感覚なのだろうか。俯く。
そこへ顔をにゅっと滑り込ませ、シシーは「それよりも」と話を転換。
「早くやってみたいね。音楽科のホールかなにかなんだろ? 案内を頼むよ」
燃え上がる。炎のような好奇心。




