179話
「……ヴァイオリン、だな、うん」
まじまじと鈍く光るヴァイオリンを近づいて凝視するルノー。なんだ? 普通と、違う?
俯き、唇を噛んで間を取るブランシュ。なにかに抵抗するかのように、自発的に使用するという印象は受けない。
「……これは……ストラディバリウスの中でも『シュライバー』と名付けられたもの、です」
目を瞑り、誰かに謝罪するかのように。祈るかのように、細く言い切る。せわしなく、手を握ったり開いたりを繰り返す。
ストラディバリウス。たとえ使用している楽器が違えど、いや、音楽をやっていなくても、あまりにも有名な価値のある楽器。イリナはなぜか心臓が跳ねた。
「……本物? いや、マジで本物?」
これがブランシュでなくカルメンだったら九割九分偽物だった。人の反応を楽しむためだけに、そういうイタズラをする。だが、そうではない。となると、本当のことを言って、いる?
「どうやって判別すんの?」
ひとり、平常心で構えるサロメは社長に任せる。さすがにヴァイオリンはわからん。
とはいえ、音楽業界が長いルノーにとっても想定外の事態。知っている限りの知識を総動員する。
「証明書なんかは役に立たないらしいからね。あとは厚みとかだけど……正直、私にもわからない。それに楽器というものは長い時間をかけて、自分に馴染ませるものだから。普段から弾いているの?」
楽器は放置しておいていいことはひとつもない。それに、ひとつひとつ細かな違いがあり、それと同調できるまでにも時間がかかる。実力を引き出すまでには、一朝一夕ではできない。
「……いえ、今日が初めてです。むしろ、今初めて目にしました」
ブランシュにとって、使うつもりも必要もないもの、そう結論づけていた。自分には自分のヴァイオリンがあると。だが、それを変えてでも弾く理由。
自慢かー? と野次を飛ばしつつ、サロメがもっともなことを述べる。
「なら弾き慣れてるほうがいいんじゃない? 使いこなせんの?」
一年間の猶予があるというなら、それもいいだろう。だが、期限は明日まで。可能なのかどうなのか。
現在の実力を見積もったブランシュの答えは、すでに言われるまでもなく出ていた。
「……私ではこのヴァイオリンの力を全て出しきるのは……今は不可能でしょう。しばらく弾かれていない、眠った状態ですから」
ただでさえ、自分には無相応なほどの代物。趣味という枠を完全にはみ出していることが、申し訳なくさえ思う。
その中でひとり、サロメだけがピクっと反応した。
「眠った……なるほどね。はいはい」




