177話
「……本当に大丈夫かな」
浮かない表情のベルは、全く自身がお呼びでないにも関わらず、緊張で胸が張り裂けそうになっていた。
その右隣ではいつもと変わらない様子のヴィズ。少し喉が渇いたな、程度。
「なに? 信じてあげないの? 私がやりますって今から言う?」
少し厳しめの口調だが、怒っているわけではもちろんない。これがいつも通り。
「言わないけど……てか、今回はレッスン室なんだ」
押され気味に逃げたベルは、周囲を見回す。ホールよりも当然、はるかに小さいが、音楽を奏でるには充分。楽しいことも辛いことも経験した場所。のひとつ。レッスン室は五〇以上あるため、どこがどこだかたまにわからなくなる。
いつもと違う場所。予約が取れなかったというわけでもないのだが、ヴィズの視線の先にその答え。
「ま、あれを見せられちゃうとね。ホールだと音が小さすぎる」
漆黒に輝くピアノ。その横に鎮座する、木目の美しいフォルテピアノ。今回の主役はこちら。『ヨハン・ゲオルグ・グレーバー 一八二〇』。初めて本物を見た。
基本的に、フォルテピアノは狭い、もしくは小さい場所でしか弾くことができない。モダンピアノと違い、全て木でできているため、張力も弱く、どうしても音量が足りないのだ。作られた当初、大ホールのような場所でピアノを弾くことがほぼほぼなかったため、これくらいで事足りていた。
なにかと負けず嫌いなカルメンが反論を挟む。
「私なら全体に飛ばせる」
が、すぐにヴィズによって現実に引き戻される。
「無理。そういう構造だってのは、講義で聞いたことあるでしょ」
物理的に不可能であって、たとえリストだろうとショパンだろうとブゾーニだろうと無理。それを超えた腕であっても無理。
「ぬぅ」
それでも納得のいかない表情のカルメン。弾いたことはないが、できないと言われると反発したくなる。
そんな中、ブリジットがひとつ、この場でおかしい部分を挙げる。
「……てかベル。それ、なに?」
指摘した通り、胸元で抱えるように花のアレンジメントを手にするベル。少し上機嫌。
「これ? せっかくだから私のイメージでアレンジメントしてみた。いいでしょ?」
褒めてもらったし、終わったらこれはあげよう。きっと喜んでくれるはず。リンゴは食べられるし。
点と点が結びつかないブリジットはお手上げ。
「よくわかんない……」
考えるだけ無駄な気がしたので、とりあえずは放置。本人も楽しそうだし。
そしてピアノ専攻の人々に紛れ、約一名、特殊な人間がいる。
「私達と同じ年齢で調律師として働いている子がいるなんてね」
眼球だけ動かし、左隣の赤毛の少女に語りかけるヴィズ。学園内で見たこともなかった。




