174話
モンフェルナ学園、レッスン室にて、ルノーが渋い顔をしている。
「二日。二日間だけ借りれた。あと、その代わりになんだけど——」
「あー、はいはい。わかってる。あそこの家の調律でしょ。わかったから。そのうちやるって言っておいて」
かたや非常につまらなそうな表情でサロメは会話を打ち切った。未来のことを考えるとやる気が削がれる。
その会話には入らず、目の前にあるピアノを惚けながら見つめる少女、イリナ・カスタ。
「……グレーバーの一八二〇って言ってたけど、このピアノってもしかして——」
その心臓が跳ね上がる。
「ん? フォルテピアノ。感謝しなさいよー。フォルテピアノってだけでもレアなのに、そのなかでもこのモデルなんて『ヨハン・ゲオルグ・グレーバー』の——」
「ちょ、ちょっと待って! 弾いたことなんか……ない……!」
さらりと、さも当然であるかのように、見たこともないピアノの紹介をするサロメに対し、肺からなんとか声を出し切ったイリナは俯いた。
しかし、一切態度を崩さないサロメ。目つき鋭くピアノとピアニストを両方視野に入れる。
「当たり前でしょ。あってたまるかって。弾いたことあったらわざわざ取り寄せないっつーの」
さらにぐちぐちと小声で文句を述べているが、いくらでも言える。
仲裁に入るルノーは「まぁまぁ」と両者の間に手を広げて取り持った。
「せっかくだから少し弾いてみて。弾いても弾かなくても明日で撤去しちゃうから。記念に」
促されたイリナは、モヤモヤとしたものを抱えつつも、イスに座る。手に汗がじっとりと浮かぶ。深呼吸をひとつすると、弾くのはシューベルト『のばら』、を一小節過ぎたあたりでストップ。
「……軽い」
自身の手をまじまじと見つめるが、当然いつもの勝手知ったる手。フォルテピアノは軽いと聞いていたが、想像以上だった。疲れとは無縁だとさえ思える。
うん、と頷いたルノーは解説を交える。
「そう、弾いてすぐわかるのはその軽さと浅さ。数ミリの違いだけど、ピアノに慣れ親しんできた者には違和感しかないだろうね」
良くも悪くも。単純に台数が少ないというのもあるが、そのタッチの感覚がズレるとして、フォルテピアノを触らないピアニストも多い。それほど普段から触れてきている者には衝撃を与える代物。
「それに音の小ささ。狭いサロンなんかで弾く前提だったから、ピアノのように大きい音が出るようにはできていない。人間がひとりでも聴衆との間に入ると、それだけでも変わってくる。繊細も繊細。調律もすぐに狂うし」
ついでにサロメも追加する。できればあまり調律したくない、というのが本心。モダンピアノとは違い、全て木でできているため、張力の狂いがすぐに起きる。そのため、基本的にフォルテピアノを所持している人物は、調律師から手解きを受けて簡易的にやり方を覚えることとなる。




