166話
一瞬たじろいだブランシュだが、断る理由もないので流されるまま隣に。少し俯きながら口を開く。
「いや、まぁ……悩みというか、なんというか。答えが出ないというか」
なんとも歯切れの悪い言い方だ、と自身を蔑む。せっかく話しをしてくれているのに。
しかし気にせず少女は壁に寄りかかって話を続行。
「ふーん。まぁ、色々あるからね、人生。あんた、ヴァイオリンやってるんでしょ?」
疑問、というよりは確信を持って質問。ピンポイントで。
「あ、はい。趣味で、ですけど。どこかでお聴きになったんですか?」
色々なところで弾いてしまっているため、特に驚きはしないブランシュ。音楽科の人? という予想もつけておく。
その問いには否定する少女。
「いや、見かけただけ。すれ違っただけ、のほうが正しいか」
思い返したが、やはりほんの一瞬。覚えていないのも無理はないし、向こうは友人らしき人物と会話をしていた。
忘れてしまっていたか、と冷や汗をかいていたブランシュは少し安堵。どれだけ遡っても思い出せずにいた。
「そうでしたか。弾いていると落ち着くんです。上手いとか下手とか。そういうのではなくて」
今、手元にはないが、愛用のヴァイオリンは抱いて眠りたいくらいには、リラックス効果がある。ジャスミンティーくらい。
音楽談義ができそう。少し少女は踏み込む。
「好きな作曲家は?」
「そう……ですね、やはりヴァイオンですから、サラサーテとか……」
やはりヴァイオリンといえばこの人物。尊敬しかブランシュにはない。肩を並べようとか追いつこうとか、そういうのではない。ヴァイオリンというものの象徴のような。考えるだけで胸が熱くなる。
脳内で『カルメン幻想曲』が流れる少女。結構上手いほう? と勝手に予想。
「ヴァイオリン以外だと?」
自分はピアノ専門。どっちかというとそのほうが話を広げやすい。弾くわけじゃないけど。
基本はブランシュはやはり、ヴァイオリンがメインとなる人物の曲を選ぶ。
「それ以外ですと……バルトークとか、グリンカとか……」
だが、民族音楽なども好き。なんともいえない哀愁のような。彼らの開放感がたまらない。
質問を続けていた少女だったが、ふと思い詰めたような表情に。唇に当てる指を変えたりと、落ち着かない様子。
「……『芸術とはもっとも美しい嘘である』」
そして、言葉を発する。
聞いたことがある、と反応するブランシュ。しかし、気になる点が。
「? ドビュッシーですか? ですがそれは——」
「そう。これは彼の名言として後世に語り継がれているが、実は彼が発した言葉だという記述はどこにもない。まさに美しい嘘、ってことなのかもね」
はー、とため息を吐きながら、少女は伸びてストレッチをする。洗濯機の音が、静寂を破るように室内に響いた。




