162話
「とか言って、面倒見がいいんだよねぇ。困ってる人をほっとけない」
口の悪さは勘弁してもらいたいが、真剣な者に対しては真摯に向き合っていることを、ルノーは知っている。どうせ調律師の範疇じゃないとか思ってるだろうけど。
「あー、うっさうっさ」
社長の発言を手で払いのけるサロメ。まぁ、やる気がないよりは、あるやつのほうが見込みはある。やれることはやってやる。
大枠が決まったところでルノーが、パンッ、と大きく手を叩く。
「で、どうすんの? 私がやることなんかある?」
ここから先はフォローしかできない。やり方は任せるが、可能かの判断もしなければならない。社長の仕事。
返事はすぐにせず、目を閉じて瞑想するように深く考え込むサロメ。先ほどの演奏を思い出す。不調の原因。精神面ではなく、違う切り口から探るとしたら。
「……ひとつ、ここに運んでほしいピアノがある。その許可を取って」
今のままではピアノを弾くことはできない。そんな簡単に弾けるようになるわけがない。だからこその奥の手。
不思議そうに首を傾げるルノー。
「ピアノ? ここにないメーカー?」
ここにはそれぞれのレッスン室やアンサンブル室に、グランドピアノが置いてある。ホールにはスタインウェイも。一体なにをするつもりだろう?
すでにサロメにとっての調律は始まっている。その条件に当てはまるピアノはひとつ。が、声を窄めてルノーに伝える。
「……グレーバーの一八二〇……」
「はぁッ!?」
今日一番の大きな声でルノーは動揺した。ガタガタと震え、聞かなかったことにしようとしている。
「……?」
なんの話をしている……? イリナは首を傾げて様子を見る。
「借りてきて……くださいな」
かなり無理を言っていることがサロメにもわかっているのか、先ほどまでの強気がどこかへ消え失せた。チラチラと、頭を抱える社長を覗き見る。
「そんなにレアなものなのか……?」
自分のために……? だとしたら、イリナはやめてくれ、と言いたい。が、もし。それでまた輝けるなら。もし。あの場所に戻れるなら。
唇を噛みながらルノーは問いに答える。
「レア……というか、所有者のいるものなんだ。売り物じゃない。それにこれは——」
「お願いしますッ!」
イスから立ち上がり、ルノーの服にしがみつくイリナ。最後に垂れてきた蜘蛛の糸。難しいことなのだろう。無茶なことなのだろう。だけど、それでも……!
「……イリナさん……」
その引く力の弱さに、ルノーは顔を歪める。もしも不可能だと言われたら。きっと。




