158話
不安で押し潰されそうなその姿を見て、まわり道せずに単刀直入に伝えるルノー。
「はっきり言うと、ピアノとフォルテの意味を理解していない、というところかな」
とても初歩的で。基本的で。だが、その本質は深い。
俯いたままだったイリナだが、一瞬理解が追いつかず、震えが止まる。そして勢いよく顔を上げた。
「……ピアノ? ピアノとフォルテって、音楽記号の……?」
「音楽記号、と言っているようじゃ全然ダメね。クラシックをなにもわかっていない。ピアノとフォルテって、もとはなに?」
寝ていたはずの人間が唐突に。ウジウジしているところが耐えられず、背中が痒くなっていた。
チラッと一瞥するが、再び俯き考えに耽るイリナ。ピアノとフォルテ。ヴォランテにコンフォーコ。
「もと……イタリア語……」
音楽にはイタリア語がとても多い。というのもクラシックが明確に誕生した時、音楽の中心はイタリアだった。優れた作曲家も多く、そこからきている。
首肯するルノー。調律師としての仕事の範疇ではないが、ピアニストとはいい音楽を紡ぎ出すパートナーであることは変わりない。
「そう。記号じゃない、言葉だ。例えばピアノは『弱く』とだけ教わることが、実は音大や音楽院でもまだまだ多い。弾くこと自体難しい曲が多いから、仕方ないっちゃ仕方ないけど」
楽譜にはただ記号が書いてあるだけ。譜面通りではあるのだが、本格的な譜読みというものが、どうしても成長してからになることが多いため、しっかりと教わる機会がないまま『なんとなく』で弾いてきてしまう。ピアノは『弱く』で統一され、フォルテは『強く』でまかり通る。だが、そこが落とし穴となる。
「言葉、ってことは様々な受け取り方、発信の仕方がある。ピアノってのは、イタリアでは『静かに』『小さく』『囁くように』って使い方もする。他にもたくさん。『弱い』じゃ全く伝わんないっつーの」
語気に若干の怒気を孕んだサロメの目は、カッと冴えてきた。さらに言葉は止まらない。
「『大切なのは音符じゃない。聴く者の心を強く掻き立てること』、っていう映画の名言もあってね。その映画では『静寂を奏でろ。キミだけの音楽が生まれる』とも言っている。いやー、素晴らしい。毎日毎日ピアノに向かって弾いてるヤツにゃ、出てこないわこんな名言」
譜面とは、心の揺れの始動。まだまだ喋りたいが、とりあえずお腹が空いてきたので中止。カロリー消費はできるだけ避けよう。
対照的に、終始弱気で進行するイリナ。今まで習ってきたこと、練習してきたことがわからなくなってくる。あれほど自信のあったピアニッシモ。そこだけは譲れないものだったが、さらに一段上があるのに、それで満足していたんじゃないか? 読み取れた気でいたんじゃないか?
「……そう、かもしれない、けど——」
「例えば今のイリナさんは、どういう感情?」
ひとつ、ルノーがわかりやすく解説を挟む。論より証拠。




