153話
それ以外にも、ピアノ専攻にはサン=サーンスを得意とする者もいる。ならばお願いして弾いてもらうのもアリだろう。選択肢は豊富だ。それに、ブランシュからしたら誰が弾きやすいのだろうか。案外、悩ましい自分の演奏が、逆に死の曖昧さを表現してる、とか捉えてくれるのだろうか。個々の好みだからなんとも。自分には弾けるものを弾くだけ。
「弾かないならどいて」
ふと、背後からの声。感情の薄さがわかる抑揚のなさ。
思案に耽っていたヴィズは、すぐ近くまで接近していた少女に気づかなかった。こんな静寂が支配する場所で。足音にも。
「どいて」
もう一度催促する少女。特に弾きたい、という曲が今あるわけではないが、内側から溢れるむず痒さは、弾かねば収まらない気がして。
軽く笑みを浮かべながら、ヴィズは問いかける。
「カルメンならワルツはどう弾く?」
ようやく振り向き、席を譲る。
常に眠そうな目つきと、舌足らずな喋り方。友人でもある同じピアノ専攻のカルメン・テシエがそこに。
「ワルツ?」
しょうがないのでインスピレーションで弾こうとしていたのはソナタ。構えたところでカルメンは止まる。リクエストもらっちゃった? オーストリア発の三拍子舞曲。様々な作曲家によって彩られた楽曲群。ショパンもチャイコフスキーもラヴェルも残している。
「そんなに譜読み得意じゃないから。よりステップを強調するように。バラードよりかはクルクル回転する感じ」
試しにひとつ、指を走らせる。デュラン作曲『ワルツ 第一番』。華やかさと軽やかさ、それでいて流麗。力強さが持ち味のカルメンだが、そのフォルテッシモがあるからこそ、ピアニッシモがより繊細さを増す。作曲家の意図よりも、自分なり解釈を押し通す。そんな聴き心地のいいワルツ。
目を瞑り、しっかりと味わうヴィズ。自然と体が揺れる。デュランがどう考えて作曲したのかは伝わらないけど、これはもうカルメンの『ワルツ 第一番』になっている。
「私には弾けない。もし私なら、もう少しゆったりとした、社交界のような映像が思い浮かぶけれど、あなたのは連れてこられた子供達が楽しげに踊るような。踊ると言うよりハジける、というほうが正しいかしら」
この子はいわゆるグレン・グールドと同じカテゴライズ。自由にやりたいことをやりたいように。コンクールよりもリサイタルやコンサート向きのピアノ。
だがワルツには色々な顔がある。それをカルメンは証明する。
「これは楽しい踊り。寂しさを表現するときはこっち」
突如、曲を変更。アーチボルト・ジョイス作曲『秋の夢』。ワルツ王、とまで呼ばれた彼の作品の中でも特に人気のある曲。あまりピアノ独奏で弾かれることはないが、まるで落ち葉の絨毯を踏みしめながら、舞い散る枯葉色を楽しむ情緒のあるワルツ。強弱自在に。だがそれでいて、どこか複雑な心情を表現するかのよう。




