152話
音楽科のホール。三六〇度観客席となり、残響時間も壁の材質もクラシックのために設えた、学園が誇る最高級の音楽環境。そしてスタインウェイ。このホールにおいて最適な調律が施されていること、そして最も弾き手の表現力を反映すると言われる、ピアノ界の王。
「『死の舞踏』……」
そう呟きながら、静かに弾くことをやめたヴィズ。気分が乗らない、というわけでもなく、どこか調子が悪い、というわけでもない。伴奏ではなく、独奏でも弾いてみたが、やはりしっくりとこない。
ヴィズのピアノの特徴は、その感情を乗せた表現力。譜読みを得意とし、自らの解釈を伝える技術もある。楽しさ、悲しさ、愛しさ、怒り、荒々しさ、その他作曲家の意図を的確に把握した、自分だけのピアノ。安定して発揮できる力もある。だが、そんな彼女ですら『死の舞踏』が手に余る。なぜか。
「死んだこと、ないものね」
死の危機に瀕したこともない。ゆえに想像できない。悲しさの延長でもなく、怒りでもない。愛しいわけでも、当然楽しいわけでもない。長所でもあり、弱点でもある表現力。まだリスト版のほうが感情移入できる。死というものを肯定的に捉えたような、芸術の一部としたような、そこが読み取れない。
サン=サーンスは詩に通じた人物であることは広く知られている。ゆえにモチーフの詩を音楽として構築したこの曲は、まさに交響詩の傑作。そんな美しい曲でピアノが迷ってしまったら、ブランシュの足を引っ張ってしまう。
今のあの子は、趣味でやっているというレベルの奏者とは考えてはいけない。ついていけないということによってバランスを崩し、もしかしたら自身の音を見失ってしまうかもしれない。
過ぎた才能はまわりに悪影響を及ぼす。それでも、あの子は楽しく弾きたいだけ。苦しんでまで手伝ってほしい、とは思わないはず。そこが厄介。この曲は、言うなれば『一度死なないと』自分には弾けない。そんな気がする。
「となると、私はここまでね」
一度、ピアノで死んだ者ならもしかしたら。ベル。技術的にも問題はないだろう。唯一無二の武器もある。だが、調律次第という安定しない状態では無理。彼女もかつて、自身より年下の少女の演奏を聴いて以来、衝撃で弾けなくなったという。それ以外にも、彼女の母もピアノをやっていたそうだが、レイノー症候群で弾けなくなったことも影響していると言っていた。
カルメンはまぁ弾きたいと言うだろうからほっておくとして、ブリジットも曲自体は弾けるはず。普段はショパンばかりだが、彼にもあのルビンシテインに『死神の詩』と言わせた『ピアノソナタ 第二番』がある。この曲を弾きこなすブリジットなら『死の舞踏』のイメージを掴むのは問題ない。




