150話
顔は見えないが、楽しんでくれたことはニコルにもわかる。以心伝心。隠しても隠しきれない。
「やっぱり楽しそうに弾いてるのが一番よ。今回の曲は重そうで」
タイトルからしてもう。なんかこう、夢に出そう。
なんとなくブランシュも言いたいことはわかる。弾き方にもそれが出てくる。
「『死の舞踏』ですね。まぁ、曲名からもわかる通り、明るく朗らかな曲ではないことは確かです。そもそもが美術のテーマだそうですし」
「音楽じゃなくて? 絵なの?」
当然、ニコルには絵画など他の芸術も疎い。死をテーマにするなんて穏やかじゃない。
たしかにブランシュにとっても、骸骨や死というものは日常にそうあるものではないし、なにより怖い。だが死生観のようなものは、ある意味では人間の極致にある。偉大な作曲家達の奥底が垣間見える気がして、わりかし嫌いではない。いややっぱ怖い。
「中世では骸骨とダンスを踊る、というモチーフが流行したそうですよ。感染病で多くの死者が出て、パニックから踊り出した、とも言われています」
この骸骨は死神、ではなく、家族や友人だったとも言われており、死を擬人化したとされている。病が流行し出した頃、教会や墓地の壁には『死の舞踏』をテーマにした壁画が数多く描かれたが、収束とともに破壊される、ということを何度も繰り返しているという。
「はぁ、変なユーモアがあるもんだね。でも死んだら幽霊じゃない? 普通。なんで骸骨?」
霊体となって彷徨うほうが、ニコルにはしっくりとくる。別に幽霊とダンスでもいいのではないだろうか。
しかし、石畳を鳴らして歩くブランシュは、しっかりと下調べを済ませている。
「それは土が関係しているそうです。火山灰を多く含む酸性の土壌であれば、土葬すると骨はかなり早く分解されるそうですが、ヨーロッパでは微アルカリ性が多い。骨は残り続けるんです」
ひとつ、足を強く踏み締める。我々の住む大地。この下にも埋まっているのだろうか。
ふむふむ、と声に出して納得するニコル。少しずつわかってきたような。
「なるほどね。それで骸骨か。なんでもテーマにするんだねぇ」
当時、病に臥すことは罰である、というキリスト教の考えがあった。罪を犯した人間は病にかかる、神への信仰が足りないことの報いだと。だがカトリックのお膝元であるイタリアでも、農民や貴族、教会の司祭なども関係なく黒死病で亡くなっていく。すると、人々は教会への疑いの目が強まり、誰もが死ぬという現実に晒されることになる。




