148話
男性の向かった先、連絡通路にはひとりの少女が待ち構えていた。少女は一応、立場的には部下になる。だが、不遜な態度で引き攣った顔。
「……なに? ナンパでもしてたの? うわー、ひく。ひくわ、オッサン」
およそ上司に対する態度とは思えないが、いつものこと。よく言えば垣根がない、悪く言えば口が悪い。
足を止めずに、ケースを引きながら長く暗い通路を歩く男性。追い抜きざまに理由を説明する。
「この国の迷える子羊を導くのも、おじさんの仕事だからね。てか、ちゃんと社長って言いなさいな、サロメ」
ついでに指導。社長であるルノーは、三区でピアノ専門の店を営んでいる。動画配信者などにも紹介されたりする、少し有名なアトリエだ。
並んで歩きだしたサロメと呼ばれた少女は、またか、と呆れた表情。
「あたしに調律まわさないでよ。自分で見つけてきたんだったら、自分でなんとかして」
調律師。ひと言で言えば、ピアノのメンテナンスを担当する職人。彼らのアトリエ『ルピアノ』では調律から販売まで、ピアノに関することならなんでも請け負っている。今日は以前担当したピアノの、再調律で出かけていた。
はいはい、と空返事で本当はサロメにやらせようとしているルノー。だってこの子のほうが調律上手いし。そもそもこっちは社長だし。
「で、どう思う? あの演奏。まぁ若干聴きづらいけど」
話を変更。話題はタイタニックメドレーを弾いている楽団。メトロタイルに足音が響く。
難しい顔をしたサロメは、今現在も演奏しているらしい盛り上がりを見せる音。それを拾う。
「……ピアノ以外は専門じゃないんだけど……まぁ、及第点じゃない? ただ、メインのフィドルが突き抜けている感はあるかな。無理して合わせてる。他も上手いけどね」
どこの誰だか知らないし、フィドルもティンホイッスルもブズーキもよくわからないが、ひとりは別格。同時に違和感もある。なんだろう、この噛み合わないような、制御しているような。
「ウチのエースにそこまで言わせるとはね。気にならない?」
現在、店に在籍する調律師はルノー含め五人。うちひとりは店舗の運営、ひとりはあまりいない。ということもあり、知名度と実力ではサロメが抜きん出ている。
「だから専門じゃないって。んで、ならない。それに無理して合わせているのは、バンドのメンバーに対してだけじゃない」
意味深な発言。それ以外にメインのフィドルを弾く人物の実力を抑えているもの。
「というと?」
相変わらず、音に関してはルノーは全くサロメに歯が立たない。一体、なにが彼女には聞こえているのだろうか。
一瞬「それは——」と言いかけたサロメだが、数秒止まったあと、また歩み始める。
「……いや、もういいわ。興味もないし。早く帰って甘いものを摂らないと」




