146話
正気のない少女に疑問を持ちつつも、知識を披露する男性。いい映画についてはいくらでも話せる。
「彼らは最後まで、演奏をやめることをしなかった。実際に生き残った人達は『不滅の鎮魂歌のようだった』と残している。引き揚げられた彼の遺体には、ヴァイオリンの入ったケースが体に縛り付けられていたそうだ」
「だから知らないって」
少しずつ苛立ちが出てきたイリナの声が荒い。幸せそうな物語はいつか終わる。それだけの話だ。
もうイリナが聞いているかどうかなどどうでもよく、両手を広げてローズのように振る舞う男性。大海原さえ見えてきた。
「そのヴァイオリンは婚約者のマリアから贈られたもので、その後は彼女の手元に戻った。海水に浸されて弾けるものではないが、彼女にとって、一番大事な音はそこに込められている。もう、音も出ないのにね。その後、彼女は独身で生涯を終えたらしい」
愛だよね、そのひと言で片付けるには尊すぎるものだが、それ以上にない。他人が語れることではないのかもしれない。
別に自分にはウォレスのような人はいない。的外れな会話にイリナは痺れを切らした。
「……なにが言いたいの……?」
映画の感想を言い合いたいなら他を当たって。そんな気分じゃないことくらいわかるでしょ。
まだまだ盛り上がりを見せる楽団と聴衆。四曲目は『ケッシュ・ジグ』。フランスでは定番。アイルランド音楽と言ったら、と、まで言われる名曲。まるで旅立ちのような爽やかさ、ここからまた始まる。
「今のままでは一流にはなれない。あぁ、すまない。ピアノ関係の仕事をしていてね。わかるんだ、弾いている人ってなんとなく。キミも弾くんだろ?」
そして、なんとなく挫折した者も男性にはわかる。きっとこの子も。だが、ピアニストには一度はあるもの。
……もうどうでもよくなった。いっそ全て明かしてしまおうか、そう脳裏をよぎったイリナの選択は、会話の続行。
「弾けない。もう、弾く資格がない」
気持ちの問題。自身が上手くなることより、友人が落ちていくことを願ってしまった。そもそもが間違っていた。五人の中で一番下じゃなければいいなんて。そんな人間がプロになんてなれるわけがない。なれないのなら……弾きたくもない。




