144話
打ち合わせてはいなかったが、こうなることはブランシュも知っていた。ポルカとはそういうもの。テンポも自由。
(きましたか、ここから一気に速くなりますね。ついていくので精一杯です。しかし)
原曲の面影が辛うじて残っている、という程の速さになる。三人としても限界速度。これ以上上げると、曲の体裁すら保てなくなるかもしれない。そのラインでもブランシュは踏み留まる。もはや誰もステップなど踏めないため、演奏を見ているしかない。終わりがくるその時を待ちわび、震えて待つ。
(こりゃすごいわ。速いだけじゃない。上手い。音が光っているようだ)
アンソニーも笑うしかない。ヴァイオリンの譜面自体はそんなに難しいものではない。ないが、楽しさを前面に押し出しつつも、どこまでも響き渡りそうな、山の香りさえも感じるような音。
広いコンコース内。メインのヴァイオリンが、遠くの利用客まで呼び寄せる。どんどんと人だかりは大きくなり、ジョン・ライアンズ・ポルカが終わった後も、次の曲を期待する人々の熱量。その勢いのまま、タイタニックメドレーに入る。二曲目は『ドラウジー・マギー』。上がりに上がったボルテージをキープ。さらに賑やかさを増す。
そうこうしているうちに、シルクハットには溢れんばかりのお札と硬貨が投げ込まれていく。それを横目で見ながらティロは深呼吸。初めてこんなに盛り上がっている。
留まるところを知らずに、多数の人々を巻き込んでいるがしかし、その中でひとり、一歩も動かず遠くから楽団のほうを見つめる人物がいる。もう、音しか聴こえない。
「……なんでだよ……」
イリナ・カスタは震えながら、楽団のほうに言葉を投げかける。置いていかないで、そんな意味も含めた言葉。なぜか今、思い出す。
横一列だったはずの、仲のいい自分含め五人。安寧の日常。みんなで意見の交換をしながら切磋琢磨していく。課題をこなす日々。充実したピアノの音。
それぞれ個性がある。講師も「それを活かしなさい」という。尖ったパラメーターは、尖ったぶんだけ鋭さを増す。唯一無二の音を目指すこと。それでよかったはずだった。
だがそんなある日、少しずつ評価に差が生まれてきてしまった。それでも、ベルは講師陣から評価が低いこともあり、安堵してしまっていた。まだ、大丈夫だと。まだ自分の音はそれなりだと。一番後ろではないと。
そして。絶望の淵に立たされていた気がしていたが、さらに片足出てしまった。
ベルの本当の実力を知ってしまったがゆえに、焦燥感に悩まされる日々。劣等感に駆られる。友人を下に見てしまっていた自身の汚さ、未熟さ、裏切り。申し訳なさと不甲斐なさから、落ちたメンタルのままピアノを弾くことで、自身の音を見失う。悪循環が続く。もうここ何日も聴こえない。




