143話
フィドルという楽器は民族音楽でよく使われるわけだが、その表現とする音は『バグパイプ』である。バグパイプというものは国によって若干の違いはあれど、リードが取り付けられたパイプを留気袋に繋ぎ、その溜めた空気を押し出すことで音が鳴る、木管楽器であり気鳴楽器。無形文化遺産にも登録されている。
そしてそのバグパイプは、音を切ることができない。笛であれば息を切り、弦であれば振動を止めることで音を切るが、押し出すという構造上、どうしてもピタリと止めることができず、残響が残ってしまう。ならばどうやって音を区切るか? そこで生まれたのが『装飾音』である。
装飾音とはなにか。その答えは『音と音の間に、一瞬の短い音を入れる』こと。それによって区切る。極端な例を挙げれば、ドレミと弾くところを、『ド・(ソ)・レ・(ソ)・ミ』と弾くことで音をドレミと区切ることができる。この場合の(ソ)が装飾音になる。
ヴァイオリンは基本的にビブラートをきかせる楽器である。逆にフィドルは響きを『切る』楽器。ゆえに、まさに同じ楽器で違う演奏。フィドルを弾く演奏者はクラシックから入る場合も多いが、学んでいないと違いをすぐには答え、演奏することはできない。しかし、この少女はすでに。
「たしかに。足が勝手に動くね」
足以外にも体全体で音を捉えるニコル。まわりを見渡すと、聴き入っている人々は同じように動いているし、通り過ぎる人々も首を揺らしたりしながら、音を感じ取っている。
(やはり……クラシックとは違った楽しさ、難しさがあります。譜面を読むことよりも、聴衆や観客に近く存在することで、みなで作り上げる一体感。演奏者だけでは成り立たないというのは、新しい発見があります)
クラシックも演奏と観客で作り上げる芸術、という見方もある。実際、聴き手にも多少の知識を求められる、言うなれば敷居が高いと敬遠されがちなところがある。しかし、スコティッシュやアイリッシュなどは、体の感じるまま。貴賤などなく、ただダンスを。ブランシュも身を委ねる。
セカンドを演奏するサンドリーヌは、ポルカ独特の洗礼を、メインのヴァイオリンにお見舞いすることに決めた。同じ譜面を何度も繰り返すため、少し変化をつけていく。
(そろそろいっちゃう?)
目配せすると、男性陣も頷く。たぶん大丈夫だろう、と。すると、徐々に徐々にテンポが上がっていく。曲を知らずに聴いていた聴衆も「ん?」という顔になると同時に、奏者の手の動きが高速になっていくサマに、さらにボルテージが上がる。その一角は見ず知らずの他人でさえ、顔を突き合わせてデタラメなステップを踏む。




