135話
エデン・ビツェル。口が悪く、根も性格も悪いことで敬遠する者も多いが、ただピアノの腕だけは誰もが認める。そして練習の勤勉さ。そんなこんなで友人は多い。フォーヴもそのひとりだ。
「サン=サーンスなら『チェロ協奏曲 第一番』だろ。なんで『死の舞踏』なんだよ」
チェロで有名な曲を五つ挙げろ、と言われたら入るであろう、彼の『チェロ協奏曲』。急・緩・急のスタンダードな構成の協奏曲だが、全て切れ目なく演奏される手法をとっており、二〇分という時間の短さも相まって、非常に人気の高い曲だ。
それにはフォーヴも納得なのだが、あいにく今は骸骨達の踊りに夢中。それはそれで弾きたい。
「うーん、気分? チェロが面白くってね」
チェロに限った話ではないけど。楽器はどれも面白い。遊び程度で触った他の楽器も、いい音を出せた時の達成感たるや。
パリへ行って変わった、という彼女の演奏。まだそれを聴いていないエデン。興味はある。元々、実力のあったヤツだとは認めている。
「どう変わったのか。そっちは弾いてやる。それを聴いてからだな。納得したら『死の舞踏』も弾いてやるよ」
全然弾いてもいいのだが、完全に弄ばれるのもなんか嫌。少しだけ抵抗を試みる。
肩をすくめるフォーヴは、渋々了承する。
「やれやれ。強情だね」
「勝手に呼び出してピアノ弾け、って言うヤツよりかは常識あると思うぞ」
正論でエデンは打破する。いや、本当は弾きたいけど。
その言葉を聞いているのかいないのか、フォーヴはひとり深く考え込む。
「……『作曲家が曲を書きたい、と思った最初の感動に近づきたい』」
自身の呟きを、またさらに思案する。呼び出した側だが、自由気ままに振る舞う。
聞き覚えのある名言に反応するエデン。有名な人物の顔が思い浮かぶ。
「コルボか? なんだ急に」
ミシェル・コルボ。スイスの指揮者。名高い彼のバッハは、歴史的な名盤とまで呼ばれるほど。その彼の残した言葉だ。
捉え方は人それぞれだが、クラシックの根幹に触れていると思われる言の葉。迷った時、リセットしたい時、新しいことを始めたい時。フォーヴが深呼吸と共に自身に刻む。
「色々と余計なことを考えても、結局はそこに行き着く。そして自分なりに理解したら、演奏で作曲家と対話する。ここはこうしたほうが自分は好きだ、もう一度繰り返したほうが想いが伝わる」
スッキリした。不思議と淡雪のように邪念が溶けていく。だからといって上手くいくとは限らないが、新しい自分になる気がする。
「だからなんだよ」
伝えたいことがいまいちピンとこないエデンのツッコミ。やるなら早くやろう。
急かす彼を嘲笑うかのようにフォーヴは抽象的。
「クラシックは面白いって話さ」
水面に一滴の雫が落ちる。そんな静謐な。音の空間。




