134話
「サン=サーンス『死の舞踏』か……」
今頃、私抜きで楽しんでいるに違いない。話の流れからするとピアノはヴィズ? チェロとかもいるのかな? セカンドヴァイオリンは? ダメだ、今日は切り上げたはずなのにまだ弾き足りない。
「……」
おもむろに、制服の上着ポケットから、先ほどしまった携帯を取り出す。フリックして電話をかけた。数秒待つと、相手が出る。
「暇かい? アンサンブル室に来てくれ」
それだけ伝えると、向こうの反応を待たずに電話を切る。反論する機会を与えない。なにやら電話が鳴っているが、無視しよう。断られたら癪だ。
「さてと、待っている間にもできること」
チェロにストラップをかける。基本、チェロは座って弾く楽器だ。その大きさもそうだが、重さもあるためヴァイオリンのように弾くことは不可能。だが、立って弾くように、とまるでギターのように装着するストラップが販売されている。試しに使ってみたところ、フォーヴにはそれがフィットした。ミュージカルなんかでは使われることもある道具。
「一曲くらいいけるかな? 短い曲なら」
ならば、と弾き始めたのはカタロニア民謡『鳥の歌』。チェリストにとっての神様、パブロ・カザルスが一九六一年、アメリカのケネディ大統領にホワイトハウスに招かれた際に演奏した有名な曲。「鳥がピース、ピースと鳴いている」と彼がスピーチした、平和を祈るカタルーニャの魂。
何度も弾いた。その度に鳴き声が変わる。カザルスの演奏は、本当に楽器そのものが鳴いているようで。彼に近づこう、なんて思わない。私という鳥。傲慢で。欲が深く。楽観的。そんな鳥。
「なんだよ」
弾き終わる頃にちょうど、ひとりの青年が入室してきた。怒りとも不満ともつかない中間の歩き方。ルカルトワイネの男子生徒の濃緑の制服。
準備運動完了。一度眠らせたチェロだが、再度起こしたフォーヴは、その青年に室内のピアノを促す。
「やぁ。『死の舞踏』お願いできる? 少し弾きたくて」
傲慢で欲が深い。他人の都合など。言うだけはタダだし。
ピタリと足を止めた青年は、目を細めて呆れる。
「なんでだよ。てか、どれだよ」
一応聞く。何種類もある曲だ。微妙な違いもある。いや、別に弾くって決まってないけど。
頼まれたら断れない青年の性格を、フォーヴはしっかりと把握していた。
「サン=サーンス。エデンは得意だったよね」
エデン、と呼ばれた青年は、上手く掌で転がされていることを理解しつつも、悪い気は実はしていない。俺に頼む、ということは、頼ってくれているということ。ちゃっかり嬉しい。




