119話
「ま、結論から言うと、もちろん知ってるわ。第一楽章の独奏のところね。あまりにもチェンバロらしくない。音型がヴァイオリンを意識したものになっていること」
二段ベッドの下、ニコルの寝ている横に腰掛けたヴィズは、足を組んでリラックス。制服のままなのは、授業終わりにそのまま駆けつけたから。
出された結論にはブランシュも同意。ヴァイオリンの開放弦を意識して音型が作られている。
「ですね。さらにヴァイオリンのアルペジオを、チェンバロで弾けるようにしたところも見受けられます。つまり、元々ヴァイオリンの曲だったものを、チェンバロに書き直している曲なんです」
アルペジオ、分散和音。二つ以上の音を鳴らした時の音を和音というが、それを分散、つまりひとつの音の残響に、他の音を乗せて和音にすること。チェンバロではほとんど見かけないが、それが多用されているということは、自ずと答えは見えてくる。
「バッハはピアノじゃなくてチェンバロで弾くべき、と頑ななプロもいるくらいだし」
ヴィズの言葉通り、そういった経緯も含め、ブランシュはバッハについて、自分は関わるべきではない気がしていた。リサイタルはもうひとり、ブラームスもある。せめてそちらだけにしようと。このままでは全く講師達の印象に残らない。
だが、そうなると新しい疑問がニコルに湧いてくる。布団の下から割り込む。
「じゃあ、元はどんなのを弾くつもりだったんだ? チェンバロしかないんでしょ?」
そうなると、バッハを選んだ時点で、穿った目で見られる可能性があることになる。もったいない話だ。
そこは当然、音楽の父。ブランシュが他の曲集を羅列する。
「イギリス組曲やフランス組曲などがありますので、そちらを弾くつもりだったんだと思います。鍵盤楽器のための曲もたくさんありますので」
事実、千を超える曲を持つため、時や場所を選ばず、なにかしら曲があるのが彼の凄いところ。とはいえ、忙し過ぎて七割近くが過去作の使い回しだ、というのは有名な話。
自身のピアノ観について、ヴィズはこの場で打ち明ける。
「前にも言ったけど、私はコンヴァトは目指していない。地方の音楽院も。ピアノを学ぶのはここでおしまいだから」
プロを目指すことももちろん考えた時期もあったが、勝負の世界に身を投じるよりも、楽しく弾くことを優先した。決め手はブランシュ。どのような形でも、音楽を楽しむことができると知った。
顔だけ出したニコル。納得がいかない。
「もったいないなー。あんだけ上手いのに。私からしたら神様みたいなものよ」




