110話
(あのチェロ。体ごと身を預けるように弾く、まるでジャクリーヌ・デュ・プレのような音量と繊細さ。完全にブランシュの音を見切って合わせている。とんだ怪物ね)
ピアノやヴァイオリンほど主張してこないが、ヴィズはフォーヴのチェロに関心を向けた。
フォーヴはほとんど、弦や弓を見ていない。目を瞑り、ブランシュの音を拾う。自分の音を出すことも大事だが、今この瞬間は、彼女に合わせて支えることが重要だと考えた。響きすぎているヴァイオリンに、瞬時に反応するのは不可能。ならば、できるだけ余計な情報を捨てる。耳に全ての神経を注ぐ。
(フォーヴ・ヴァインデヴォーゲル。覚えといて損はないわね)
中間部からは転調となる。弦楽器が囁き、オーボエが主として奏で、さらに哀愁を深める。クラリネット、ヴァイオリンへと繋ぎ、再度オーボエが静けさを打ち破る。そしてトロンボーンとトランペットがクライマックスへと誘い、盛り上がりを見せた。
再度イングリッシュホルンが主張し、コーダを締めるコントラバスの変ニ長調和音。静かに第二楽章は結末を迎える。まるで沈みゆく太陽に祈りを捧げるように。
第三楽章スケルツォ。モルトヴィヴァーチェ。とても速く。
もしテーマをつけるのであれば『出発』。トライアングルのキラキラ輝く音と、ヴァイオリンの衝撃。その後、オーボエら木管楽器がユーモラスに歌い上げ、序奏が始まる。民族舞曲を意識して作られ、跳ねるようなリズムが特徴。ティンパニの打音が活気を与え、少しずつギアを上げていく。
浮き沈みを繰り返し、優しさと激しさを聴衆に預けながら、疾走前の準備をする。弦楽器の伴奏に応える木管楽器。親しみやすく、軽快なメロディをカノン風味で仕上げる。未開拓のアメリカの地を、まるで馬の背に乗りながら闊歩するように。
スケルツォとは、イタリア語で『冗談』を意味するが、ここでは未来への自由度を表現しているようだ。
《オレンジフラワー・アブソリュート》。エキゾチックな、心を沈めるビターオレンジ。
《ストエカスラベンダー》。強さの象徴。衝撃を与える優しい花。
《ヴァイテックス》。穢れのない衝動。見渡す限りの荒野を駆ける。
これら三つの香りが、ブランシュを包む。香りに導かれる様に指を滑らせる。リードする時も伴奏となる時も、ピアノとチェロと絶妙な距離感を取る。全てを差し置いてスポットライトを浴びたかと思えば、次の瞬間、舞台袖に引っ込む。主役であり、黒子でもある。バランスを整えるピアノとチェロに、全幅の信頼を寄せているからこそ。
中間部からはスラブ舞曲のように、心地よくも穏やかに進む。まるで一度、走り出す前に振り返って、これまでのことを思い出すように、ホルンとトランペットが、第一楽章のメロディを再現する。




