104話
夕方。日はすでに沈み、寒さも一段と厳しくなる時間帯。
「よーし、ご飯行こ!」
というのは、寮に戻り、勢いよく部屋のドアを開けたニコルの第一声。
様々な香水をテーブルの上に置き、ベルとフォーヴに香水講義をしていたブランシュは、ひとつため息を吐く。もう、この人が来てから確実にため息が増えた。
「帰ってきていきなりそれですか……というか、どこに行っていたんですか?」
やたら陽気なニコルの様子からして、いいことがあったのだろうと予測。つまり自分には悪いこと。のような気がする。
そんなブランシュの問いには無視して、まずは今回の主役のベルと、助っ人外国人フォーヴの意見を優先する。
「ベルも大丈夫でしょ? 何食べたい? 今日は外に行こう、私が奢る。フォーヴも地下鉄でチェロ、やってみたいって言ってたよね?」
「私が奢る」という言葉に反応したベルが、アトマイザーをひとつ手に持って提案する。
「いいの? だったら香水、ってことであのカフェなんかどう? 有名なやつ」
「香水……ココ・シャネルがよく行っていたという、七区のカフェですか? リヴォリ通りにある」
『香水』『カフェ』と言われれば、まず真っ先に浮かぶのがここ。ブランシュもずっと気になっていた。だが、ココ・シャネルという遠い存在が眩しすぎて、ひとりでは行けずにいた。心の中でベルに感謝する。
「そうそう。明日、うまくいきますようにって」
やれることはやった。あとは神様次第、とベルは願掛けに選んだことを明かす。奢りだし。
「有名なところだね、名物のモンブランを一度食べてみたかった。それと地下鉄でチェロ、やっとこの時がきたね」
やる気をみなぎらせたフォーヴも、ベルの意見に乗る。奢りだし。映画の再現。友人達に自慢できる。
「よし、じゃあ行きますか」
ニコルを先頭に、四人で夜のパリに飛び出す。
七区には、パリで最古のショコラトリー以外にも、最古のカフェも存在する。店内はまるで中世のヨーロッパをイメージしたかのような、直線と曲線のシンプルなデザイン、いわゆるアール・デコ様式の美しさを持つ。お城での優雅なひととき、そんな感想を抱く。螺旋階段を上り二階に通されると、落ち着きのあるクラシック音楽が流れ、ギャルソンが丁寧に接客する。
フランスでは夕食には、あまりしっかりと食べるという習慣がないため、こういった軽食で済ませる人も多く、レストランなどよりもカフェのほうが混んでいることが多い。
「で、今はどんな感じ?」
先にきたコーヒーを飲みながら、ニコルが進捗を確認する。なんせ途中からいなかったもんで、どこまでいっているのか気になる。いなくなったのは自分からだけど。
スッキリした顔でブランシュは受け応える。
「先ほど香水は完成しました。ですので明日、午前中に最後の『新世界より』を演奏して、全て終わりになります。これ以上のものは、今の自分には作ることはできません」
(本当に?)
また誰かの声がブランシュにだけ聞こえる。




