103話
パリ七区。エッフェル塔。
その三〇〇メートルの鉄の塊を見上げる、隣接するシャン・ド・マルス公園。そのパリ有数の緑地で、ニコルは携帯で電話をかけている。右足の爪先はせわしなく地面を叩き、落ち着かない。
「予定と違うけど」
少し苛立ったような、呆れたような中間の声のトーンでニコルは語りかける。
《大事なのは結果だから。私もビックリしたし。朝行ったら彼女、いるんだもん。で、どんな感じ?》
やはり爺さんも知らされてなかったか。なら仕方ない、と肩をすくめた。世の中、うまくいかないね。
「大丈夫そう。たぶん、延期してもらってたけど、明日か明後日には持っていける」
《急がなくていいよ。今はドイツでやることあるし。まぁ、明日には戻るけど》
「ドイツ?」
なんでまた? 聞こうと思ったが、相手は世界を飛び回る人間国宝。もしくは、考えの読めない妖怪。どこにいてもおかしくはない。考えるだけ無駄。
《お土産買って帰るから。甘いものでいいよね? というかもう買ってあるんだけど》
なら聞くな、と思いつつも、感謝を示す。甘いものはもちろん好き。レープクーヘン?
「それはありがたいけど、今後も一週間ていう期限、なんとかならない? 一応学生だし、学業もあるのよ」
自分はどうでもいいけど、と付け足し、延長を要求をする。
《仕方ないね。まぁ頼んでるのはこっちだし、手伝ってもらっちゃってるのに、文句は言えないや。出来次第でいい。ただ、出来るだけ早くがいいね》
「わかった。ありがと」
案外あっさりと受け入れられ、少し拍子抜けした。場合によっては、徹底的に抗戦する予定もあったが、なにもないならそれが一番いいに決まってる。
《お礼を言うのはこっちの方。それで、『あの子』はどうなってる?》
ひとつ、息を吐いてニコルは告げる。
「元気にヴァイオリン弾いてる。なにも変わりない」
《よかった。じゃ、また》
向こうが言いきる前に電話を切る。ブランシュになにかしようものなら、黙って見過ごすことはできない。戸籍上は、自分は妹であるし。偽造だけど。
「……さて、やることは終わったし、帰るか」
お腹も空いたし。きっとご飯の時間になったら帰ってくるとか、ブランシュは予想しているんだろう。当たりだ。そんなことを考えながら、踵を返し、ニコルは歩を進めた。




