102話
もう一度やりたい、と決めた時のことをベルは思い出す。
「きっかけもあるし、支えてもらったけど、結局最後は自分がどうしたいか。弾きたくなかったら無理に弾く必要はないし。ただ、もう一回弾こうと思ってから変えた部分は結構あるかも」
「具体的にはどんな?」
さっきから質問ばかりだな、と自身を戒めつつも、フォーヴはぜひ聞いてみたい。楽器は違えど、同じ音楽。参考になるものは、貪欲に取り入れる。
自身の手、指を見ながら、ベルは解を語る。
「鍵盤を『押す』のではなく『引く』ことを意識するようになったり、横の動きを意識してみたり。今まで自分に合わないな、と思ってやめた奏法を、もう一度やってみたり。練習して、昨日まで得た経験を、捨てることができるようになった、かな。一度辞めたわけだし、簡単だった」
「昨日までを、捨てる——」
考えたことのない思考に、フォーヴは身を乗り出す。せっかく練習したものを? だが、実際にベルの実力を目の当たりにすると、気になることだ。自らの血を入れ替えるには、それくらいの荒療治が必要かもしれない。
んー、と首を捻りながら、ベルは次に来る言葉を選ぶ。
「捨てる、っていう言い方は違うのかも。ただ、今から弾く音楽を、まるで『初めて弾くように』って。こうしてみたらどうだろう、っていうのは全部試してみることにしたかな。自分にはこっちの方が合ってるみたい。〇点か一〇〇点か、っていうギャンブル、って言っていいのかな」
うまく言えないや、とベルは笑う。
初めてのカンカク。ゆっくりとフォーヴは噛み砕いて血肉にする。
「……そういうのもあるのか。いや、面白いね。自分はたしかに保守的にやっていたかも。参考になる」
「あんま参考にしない方がいいと思うけどね。それに……聴かせたい人もいるし……」
後半は若干声のトーンを落として、自分に言い聞かせるようにベルはまとめた。あの子に。あたしのピアノをいつか。
ふーん、とニヤけてフォーヴは立ち上がった。
「よし、そろそろ戻ろうか。ブランシュも香水は作り終わった頃だろうし。再開だ」
昨日から弾き続けているが、調子がどんどんと上がっているのがわかる。旅行で来ていたのだが、いつの間にか練習漬けに。それもアリだね、と自分に語りかける。
「そうだね。どんな香りなのか楽しみ! よし!」
落ち込んだベルだが、結局はピアノ弾きたくなっちゃうんだよね! と、大きく伸びてリフレッシュ。早く鍵盤に触れたい。突出した才能を目の当たりにしても、自分の心の流れる方へ漕ぎ出す。そんなしなやかさが身に付いた気がする。
「聴かせたい人って男?」
ホールまで向かいながら、フォーヴはこっそり笑みを浮かべて尋ねる。ちゃんと聞こえていた。
「え、いや、うん……まぁ……」
恥ずかしがりながらも、ベルは認める。男。の子。ちっちゃい。




