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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

俺の太陽(猫side)

 一番古い記憶は、赤。

 俺を産み落とした親は、スラム街の端っこで痴情のもつれで男達に刺されて死んだ。目の前に広がる、赤、あか、赤。鉄錆のにおい。血に塗れた物言わぬ骸。半刻前まで男達に甘ったるく媚びる声だけが耳に残った。

 それから泥水を啜り、残飯を漁って生きた。家は路地裏の木箱の中。ぼろきれにくるまって寝た。憐れんで食べ物を寄越す人もいたけれど、大抵は俺を見て見ないふり。俺は居ないもの扱いをされた。

 ある日、市場近くの路地でゴミを漁っていたら酔っ払いに酷く殴られた。「野良猫には地べたを這うのが似合いだ」と歪んだ笑みを浮かべながら。身体中が痛くて熱くて座り込んだまま動けなくなった。ここに居たらまた酷い目に遭う、と思ったけれど、何日も横になって過ごした。

 何人も俺の横を通り過ぎて、嫌なモノを見た、と苦い顔をするのを下から見た。


 ある日、場違いな声が上から降ってきた。


「お兄さま、わたくし猫を飼いたいと常々思っていましたの」

「レティ、これは猫じゃない」

「あら、路地で寝てるのは猫って聞きましたわ」


 薄暗い路地に輝くきんいろ。雲の間から差し込む太陽のような光。優しく微笑む、若葉の瞳。

「家においで」

 俺は「死にたくない」と泣いた。金色の女の子は「大丈夫」と繰り返した。

 名無しだった俺に「東の言葉の響きが好き」だと言って、カズキという名をくれた。

 「わたくしの大事な猫」と可愛がってくれたのは、俺より年下の貴族令嬢のレティシア。愛称のレティと呼んで欲しいと言ってくれた。「妹が拾うのを許可したのは俺だから」と俺を子分みたいにあちこち連れ回すのはレティの兄、ロラン。

 灰色の世界から光の当たる世界に連れ出してくれた兄妹に

俺は依存した。「レティ、レティ」と後ろをついて回るのを許されたのは幼い子供だったから。年を重ねる毎に周りの大人達から諭され、少しずつ距離を置く事を覚えた。「レティ」から「お嬢様」へ。

 レティは俺の太陽。あの昏い場所から掬い上げてくれた、俺の唯一。

 俺は成長するに従って、飼い主を守る影になった。綺麗に芽吹いていく金色のお嬢様を狙う者を狩る為に手を血で染めた。幼い頃に嫌だと思った、鉄錆のにおい。呆然と見るしか出来なかった、赤い景色がまた近くなった。


 眩しい金色にはもう似合わない。

 少しずつお嬢様と距離を作った。


 「疲れた」とこぼした夜、珍しくココアが提供された。普段なら甘ったるくて飲まないソレを美味いと思って飲み干した。「疲れた時は甘い物が一番ですから」と入れてくれたメイドが笑う。身体が重くていつもより早い時間に床に入った。

 ふと、夜中に目が覚めた。

 口内で蠢く何か。ふわふわと頬に当たる柔らかい…

「ん…」

 目を見開いた先にいたのは、色めいた情がのる若葉の緑。

「あら、目が覚めた?」

 慌てるこっちの気も知らずに艶やかに笑んでくる。

 躾と称した拙くとも丁寧な愛撫。

 時折、ハァとこぼす色気のある溜息。

「あなたはわたくしの猫なんだから」

 その言葉に、激しいショックを受けた。お嬢様にとって俺は男ではなく、ただの飼い猫。そう考えると頭の中がスーッと冷たくなった。柔らかい唇も優しい手も煩わしくなって、自由にならない腕に心の中で舌打ちする。

 目を合わせた時、優しく見つめる瞳に悲しみの色が広がった。傷ついたのはこっちなのに。…….唐突に静かな秘密の時間が終わった。

 手の拘束を外して、静かにベッドから降りる。それを追うように起き上がると彼女は何も言わずに俺の頬を撫でて去って行った。

 何かが急速に失われていく、と感じた。


 お嬢様のデビュタントの日、ロランがエスコートした。いつもパーティのエスコートは俺がしていたのに、今回は頼まれなかった。俺も何も言わなかった。

 ロランと一緒に騎士団に入団した。それを機に俺は家を出て入寮した。ロランにはめちゃくちゃ反対されたけど、最終的に折れて何故かロランも寮に入った。


「お前は嫡男だろ!」

「ま、何事も経験だし、お前1人にするのも心配だしな」


 俺とロランの間に身分や主従関係だとか、そういう煩わしいものはとっくに無くなっていて、何でも言い合える悪友になっていた。

 昼間は厳しい訓練、夜は仲間達と外に繰り出して娼館に通ったりもした。

 女達の甘ったるく媚びる声に、赤い骸を思い出して最後まで出来た事はなかったし、好意を寄せられても何も言わなかったせいで、来るもの拒まず去るもの追わずで何回も修羅場に発展した。その度にロランは憐れみの瞳を寄越した。

 彼女に会わないうちにロランの家が事業に失敗して没落した。その頃、ロランは騎士団の後方支援に所属となって俺とは別の場所に異動になっていた。初めのうちは連絡をとっていたのに、隣国と戦争がいつ始まるかという慌ただしさの中で、彼とも疎遠になってしまった。


 戦争が始まった。


 国境を守る為に、俺の所属する部隊が国沿いの砦に向かう事になった。

 首都から騎馬で3日。砂と埃まみれになった、俺達を迎えてくれたのは戦に怯えながらも明るい顔をした国境の人達。

 到着した日は、そこを治める領主の好意で宴が開かれた。素朴ながらも工夫を凝らした料理、この地方で造られた酒。それを酌するのは砦近くの町に住む女達。俺は寄ってくる女達に手を振って、手酌で1人飲んでいた。

 空き瓶を脇に寄せて次の瓶を手に取った時、横から出てきた手が俺の手を払って瓶を持ち上げた。ちらっと見ると、くすんだ金髪の女がこっちを見ている。どこか懐かしいような緑の眼差し。女はそっと目を逸らして酒を注いだ。他の酌婦達のように甘えた声を上げる事も笑む事もない。いや、一度だけぎこちない表情をしたのは、微笑んだのかもしれない。そう思ったのは、宴が終わった後だった。

 

 戦争が終わった。


 俺は国境に残って後処理をしつつ、お嬢様を探す事にした。部下が戦時中の宴の際に親密になった女と結婚する事になり、その時の話を書類を書きながら聞いていた。


「そういえば、あの時に貴族っぽい女の人がいたんですよね。貴族っぽい平民というか…言葉遣いや所作が丁寧で」

「ふうん?珍しくはないな」

「そうなんですけど、まだ若いのに孤児院を建てたって彼女が言ってて。若いって言っても班長よりいくつか下で20は越えてる感じでしたよ。確か「猫の家」だったかな。その人、孤児を猫に例えて孤児を見つけると全員拾って……」


 孤児を猫に例える。そんなの1人しか知らない。


 町外れの孤児院に向かって走った。

 途中、酔っ払いの諍いに遭遇して仲裁しようとしたら、喧嘩に巻き込まれた。気が急いてるせいで肩と足、側頭部に怪我を負った。それでも酔っ払い達を地面に沈めてからまた足を前に向けた。流れる血のせいで景色が赤く染まる。

 鼻につく鉄錆のにおい。


 比較的新しい建物の入り口で、座り込んだ俺を様々な色を持つ子ども達が囲む。あお、みどり、こはく、むらさき、くろ。

 ふっ、と視線に入ったのは古い革靴。

 顔を上げても逆光で顔が見えない、けれど風に揺れる色はきんいろ。


 「あなた、またわたくしに拾われるかしら?」


 俺の太陽。

 昏い世界から連れ出してくれた、唯一。


 ようやく腕の中に囲い込んだ、このひかりを俺はもう離さない。離せない。

 

 


 



 




 

 

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