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9.妻は棍棒を借りなかったことを後悔する

「へっ?ごめん、耳がおかしいみたいだ。泣きすぎたからかな、はっは…は…」


現実逃避を選んだ夫。これも残念ながら想定内で、ため息が出そうになる。

もう少し捻りがあってもいいんじゃないだろうか。


私がいなくなったあと、大丈夫かなって心配になる。

いいえ、いろんな意味で大丈夫じゃない。


だから彼には妻がこれからも必要で、それも彼の足りない部分を補える人でなければならない。



つまり――乞う!優良物件妻だ。








「離・縁・し・ま・しょ・う・ね」


聞こえなかったと言い逃れできないように、三度目となる台詞を口にする。


「……っ…なんで?だって、合格だって言ったじゃないか…」


彼の声が震える。私は改心した彼を受け入れたのだから、離縁は撤回されると思っていたからだ。


「あら、私は合格したら離縁の申し出を取り消すなんて一言も言ってないわ。ほら、思い出して!」

「えっ、そうだっけ…?」


嘘を吐くことになってしまうから、あのとき言わなかった。


夫は腕を組みながら『うーん…』と唸り、一週間前のことを思い返している。



――ゴンッ!


しばし見守っていると夫はテーブルに勢いよく頭をぶつけた。…どうやら思い出したようだ。

『ほら、これで冷やして』と濡れたタオルを渡し、話の続きを始める。


 

「手術前に離縁しましょ。死ぬ気はないけれど、死んだ時のことを考えて用意をしておきたいの。だからあなたに急いで改心させたのよ。再婚相手に出て行かれたら困るでしょ?時代は変わりつつあって、今の常識がいつまで続くか分からない。新しい波に乗れなかったら、悲惨な老後しかないわよ」

「嫌だ!離縁しない、カサナが死ぬわけないっ!」


子供みたいに駄々を捏ねる夫。

困ったなと思うけど、その反面嬉しくもある。


でもここで引くわけには行かない。だから現実的な話をする。


「一人で子育て出来るの?夜勤だって出張だってあるじゃない。その時にライラはどうするの?私の親もあなたの親も亡くなっているし、毎回誰かの善意を当てにするわけにもいかないでしょ?それに年頃になった時に母親は必要になるわ」


夫は娘を心から愛している、私がいなくても二人分の愛情を注ぐだろう。

でもそこに再婚相手が加わって、もう一人分注がれる愛情が増えたら、そのほうが娘は幸せになる。



「それならっ、いま離縁する必要はないだろ!考えるのも嫌だけど、もしカサナが天に召されたらその時にライラの為に何が最善か考える。だから、離縁はしない。だって今する意味はな――」

「今後のことを考えたら今が一番いいの!」


私がそう断言すると、夫は『なんで?』という顔をしている。


――本当に男は分かっていない。


若い時は『愛してる!』という勢いだけで結婚できるけど、歳を重ねるとそうはいかない。

女性は冷静に物事を判断するようになる。



「もし仮に離縁しないで私が死んだ場合は死別になるのよ。最後まで妻を支えた夫、つまり美談となってあなたの人としての評価はあがるわ」


ますます分からないとうい顔をする夫に説明を続ける。


「でも結婚相手としての価値は下がる。亡き妻を想い続ける人に嫁ぎたいと思う人はいないわ。思い出は美化されるから勝てる気がしないから。それに美談で終わると周囲の目も厳しくなって、再婚相手を値踏みするようになる。誰だって比べられるのは嫌だわ。そのうえあなたは子持ちで優良物件とは言い難いのに、死別で終わったら、ますます条件が悪くなるのよ」

「………なんとかする」


子持ち相手と再婚してくれる女性は勢いで結婚などしない。ちゃんと考えて計算して、条件の悪い夫とたぶん結婚しない。



だから、夫の一方的な『なんとかする』は高確率でなんともならない。

金塊でも掘り当てたらまた違うだろうけど、私の知る限りその予定はない。




「なるべく素敵な人にライラの新しい母親になってもらいたいの」


娘の名を出されて夫は何も言えなくなる。母としての私の覚悟を否定はしたくないのだろう。


それに娘を愛しているから。



 ……これで終わり……ね……




これで憂いはなくなった。

やれるだけのことをやったのだから、というかこれ以上出来ることはない。

だから、これでいい。


あとは前向きな気持で手術を受けて、……たぶん天に召される。




仕舞っておいた離縁届とペンをそっと差し出す。

私の署名は済ませてあるから、夫が書いてこの結婚が終わる。



――ビリビリ…。



 はっ……?


なんと夫は離縁届を手に取ると破り捨てた。

……話を聞いてたよね?理由をちゃんと説明したよね?おいこらっ、私の貴重な時間を返せやと言いたくなる。

 

この夫の行動は完全に想定外だ。


「離縁は嫌だ…」

「それならなにか名案があるの?!」


この流れでそんなことをするのなら、彼の考えを聞こうじゃないかと身を乗りだす。


「特にないっ!」


まさかの即答、一切迷いなし。

この瞬間、本気で棍棒を借りておかなかったことを後悔した。

 

 


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