10.妻は夫に乞われて離縁を申し出る
「離縁しましょう」
「絶対に離縁しないぞ!」
お互いに一歩も引かずに同じ台詞を繰り返しているから、全然話が進まない。
流石に疲れてきて『ちょっと休憩…』と私が少しだけ休んでいると、夫は心配そうに覗き込む。
「カサナ、大丈夫か?無理しないでくれ」
おっ、これはチャンスかも…?
「無理したくないから離縁してちょうだい」
甘えるような口調でお願いしてみる。弱みにつけ込む汚い手だけど、ここまでくれば手段は選んでいられない。
「……しない。でも無理するな」
脳筋でも流石にその手には乗らなかった。なかなかやるなと夫のことを少しだけ見直してから、今は感心している場合ではなかったと反省する。
すると夫はそっと労るように私を抱きよせ『聞いて』と耳元で優しく囁いてくる。
「ライラのことを考えるべきなのは分かっている。あの子は俺達の宝物だ。でも俺にとってカサナも同じくらいに大切なんだ。どっちか選ぶんじゃなく、二人とも大切にする道を選びたい。その道は見つからないけど、それでもカサナの手を離せない。君の気持ちは分かってもそれだけは出来ないんだ、すまない…」
静かに自分の想いを告げてきた夫。どうすればいいか分からずにとても辛そうな顔をしている。
その気持ちは痛いほど分かる。だって逆の立場なら私も同じだったと思う。
……辛い選択をさせてごめんね…
こうなったのは誰のせいでもない。
病気になった私も、私を愛しているから離縁できない夫も――二人とも悪くない。
でもそれならどうすればいいのか。
このまま私の手術が成功する確率に賭ける?現実主義の私はそんな無謀な賭けは出来ない。
――リヴァイとライラの未来が掛かっているのだから。
私はもう限界だった。これは私が選んだ道だとしても、愛する夫とこんな話を続けるほどに心が抉られる。『離縁やめようかな…』と弱音を吐きそうになってしまう。
こんなに愛さなければ良かった…のかな……
――愛は支えとなり、時に枷ともなる。
歯を食いしばって堪らえていると、また彼が『聞いて…』と呟いてきたので小さく頷く。
「俺達はライラの未来を大切にしたい。俺はカサナも大切にしたい。そしてカサナは俺とライラを守りたいから意見を変えない。意地っ張りだけどそんなところも大好きだ。だから俺のほうが折れるよ。離縁するから、それからすぐに再婚して――俺と」
「……っ…でも…」
彼は一旦は私の望みを受け入れるから、手術が成功したら元に戻ろうと言ってくる。
成功するとは思っていないけど、もし生還できたならそれを拒む理由はない。
それはすべてを満たしている提案だった。
離縁してから同じ人と再婚することは法律上問題ない。しかし、神が許さないとされている。
結婚とは神聖なもので、そんなに軽いものではないと。だから、どんな事情があろうとも誰もそんなことはしない。
それが世間の常識だから、私は最初から選択肢から外していた。
「なあ、カサナ。神様が同じ人と再婚するの許さないっておかしくないか?愛を説くのが神様だろ、それならどんな形だって愛ある結婚は応援すると思うんだ」
私は一度だってそんなことを考えてもみなかった。
でも夫にそう言われるとそんな気がしてくる。
人は間違える生き物で、神はそんな人達を救うのが仕事だ。それなのに、結婚に関してだけは間違いを許さないなんて筋が通らない。
リヴァイは世間の常識を軽く飛び越えようとする。
ちゃんと考えて新たな答えを見つけ出した。
――私達の三人の未来のために。
私は戸惑っている、この常識から飛び出していいのかと。偉そうなことを夫には言っていたくせに、私は当たり前からなかなか抜け出せない。
夫の提案に飛びつきたいくせに、集団に属する安心感から離れることに躊躇している。
そんな自分が腹立たしいし、もどかしくてたまらない。
「カサナ、もう一回あの台詞言ってくれる?本当は二度と聞きたくないけど、……耳を塞いでるから言ってみて」
夫が二度と聞きたくない台詞はあれしかない。
そして真っ直ぐに私を見つめる夫は、予告通りに両手で耳を押さえている。
それじゃ聞こえないよね…?と思いながら、夫の望みを叶えるためにあの言葉を紡ぐ。
「……離縁しましょう、リヴァイ」
夫は口の動きから私が発した言葉を読み取って、ゆっくりと頷いた。




