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1.妻はさらりと離縁を申し出る

「カサナが淹れたお茶は美味いな。きっと愛がたっぷり入っているから甘いんだな」

「今日は間違っていつもの倍、お砂糖入れてしまったの。だから甘いのよ」


私は間髪を入れずに事実を告げる。


「ツンデレのカサナも可愛いなっ」


夫は私の言葉を照れ隠しだと思ったようだ。

本当にツンもデレもないのだが、面倒なので聞き流すことにした。


向かい合ってお茶を飲んでいる夫は、それでもデレデレしながら私を見つめてくる。


結婚して五年経つけれど、愛されているなと感じる日々。



私の腕の中には、もうすぐ一歳になる娘のライラがスヤスヤと眠っている。この子はミルクをお腹いっぱい飲んだあとはすぐに寝て、どんなに大きな音がしても起きることはない。

試しに柔らかい頬をつんつんしてみるけれど、起きる気配はなしである。


我が子ながら大物になる予感しかない子だわ。



 ……今がチャンスよね


そう、私は夫に話したいことがあった。小さい子がいる生活はなにかと時間があるようでない。


それに騎士である夫も通常の仕事や急な仕事に忙しく、なかなかゆっくりと話す機会がなかった。


ちなみに騎士団の自称急な仕事の九割は付き合いという名の飲みで、残りの一割は妻には内緒にしておきたいこと。



ばれてないと夫達は思っているけれど、しっかりばれている。

騎士の妻同士の情報交換のレベルは、井戸端会議の域を軽く越えている。もはや国の情報機関に匹敵するほどの正確さと迅速さを兼ね備えているのだ。



 はぁ…、脳筋達は詰めが甘いのよね。



騎士は危険と隣り合わせの職業だから息抜きも必要という立派な言い訳で、娼館通いという名の浮気は社会から黙認されており、それはもはや騎士団の文化と言っても過言ではない。


――妻からしたら最低最悪な文化。



命を懸けている騎士が娼館の女性相手で昂りを解消することは必要なことだと言う男達もいる。

でもその理屈なら女性騎士が男娼相手に遊んでも『息抜きだ』と認めるのか?――いいや、欲求不満というレッテルを貼るだけだろう。


まったく女には貞淑を求めるくせに、社会は男には寛大なのよね。



そんな社会に適応しようと女達は良き妻であろうと努力していた、つまり耐え忍んでいたのだ。



しかし確実に時代は変わりつつある。


いつかは妻だけが耐えて円満な家庭を維持する時代は終わるだろう。

まだ先のことだろうけど確実にその日は来る――と心から願っている。



そして私は時代の先取りをすることに決めた。


もともと流行をいち早く取り入れる性質でもあるから、不自然な選択ではない。


だから、もう耐えるだけは止めにする。


夫のことは心から愛しているし、夫も私のことを心から愛しているのは知っている。


でも騎士仲間に誘われて娼館に何度か通ったのは、紛れもない事実。


 …腐ってしまえと本気で呪ったこともあったわね。

 


まあ、浮気は許せないけれど、それでも私は夫を愛する心を失わなかった。

娼館といえども私から見れば立派な浮気、でも嫌いになれない。


なんでなのか自分でも分からない、――不思議だ。


私の心には深い愛と静かなる怒りとが、バチバチと火花を立てながら共存している。

 

――愛って本当に難しい。





でも忍耐の日々は今日で終わり。もちろん、脳筋な夫はなにも気づいていないけど。



 

「あなた、離縁しましょう」


まるで夕飯なに食べたいと聞くかのように、さらりと人生において重大な決断を口にする。


「ん?リエンと聞こえたんだがどういう意味だ?カサナ」


夫は呑気にお茶を飲みながら聞き返してくる。

どうやら『リエン=離縁』だと理解していないようだ。


脳筋だからではなく、たぶん世の中の夫の大半は妻から離縁を告げられた時にこんな反応をしている気がする。


――つまり妻の心の内を分かっていない。



「はい、ここに名前を書いてちょうだいね」


私はあらかじめ用意していた離縁届け出を差し出す。

大きな字で離縁届と書いてある緑の紙。これがなんだか理解できない大人は誰もいないだろう。


固まったままそれを凝視しする夫の顔色は、みるみる間に青褪めていく。

いや、すぐに青を通り越して白になった。そして『お茶を口から垂れ流す死人』と化している。


驚くのは構わないが口は閉じていて欲しかった。片手でささっと手早くテーブルを拭く。



「な、なぜ、いきなりそんな事言うんだっ!今までなんにも問題なく上手くやってきたじゃないか――」

「違いますよ、私が我慢していただけですから」

「へ?我慢ってなんだ……?」


動揺する夫は私の言葉に首を傾げる。私の我慢に心当たりはないようだ。


愛する夫は脳筋だが、頭は悪くはない。

話せばちゃんと理解できる人である。


だから私はさっとノートを取り出し、そこに書かれている男の文化という浮気を読み上げ始めた。


「ま、待ってくれ。それはいったいなんだ――」

「これはあなたの急な仕事の内容よ、リヴァイ。もし間違っているところがあったら言ってちょうだいね。あとで確認してみるから」

「へ?……確認って…?」


さっきから『へ?』が多い。何がなんだか分からないからだろう。


完璧に隠していた浮気を私から聞かさせているのだから、――それも笑顔で。




「騎士団って結束が固いわよね。でもそれって男だけではないのよ。妻達も同じなの、いろいろと協力しあっているわ。何かあった時に夫がどこで何をしているのか知りませんでしただと、良き妻として困るでしょ?」

「……っ!」


最高の笑顔を浮かべながら『お前の浮気を知っているぞ』と夫に突きつける。


騎士という仕事柄から普段はなにごとにも動じない夫。

でも今は彼の額からは滝のような汗が流れ『まずい、まずい!』という心の声がしっかりと音声となり漏れ出ている。


「なにがまずいのかしら?」

「えっ、……まずいって口から出ていたか…?」

「ええ、それはもうはっきりとね」

「………はっは‥は、」


夫の意味のない笑い声はうわずっていて、動揺していますと宣言しているようなものだ。

私の腕の中で夫の大きな声に動じずに眠り続けている娘を少しは見習って欲しい。



そんなに慌てるくらいなら最初から浮気なんてしなければいいのに。


 ‥‥まったく駄目な人ね。


心のなかで盛大にため息をつくが、この駄目な夫に私はまだ惚れているのだ。



私は夫の急なお仕事の内容の続きを読み聞かせていく。


夫が私の言葉を遮ることは一度たりともなかった。つまりはすべて正解だったということ。



でも念のために言質を取っておきたい。



「リヴァイ、全部合っていたかしら?」

「……はぃ、合ってます」


こんな時にはなぜか嘘をつけないらしい。夫はいつの間にやら土下座しており『ごめんなさい!』と謝ってくる。


ごめんで済んだら緑の紙を用意したりしないと思いながら、私は夫に声を掛ける。


「リヴァイ、土下座はいらないわ。そんなものになんの意味もないでしょ?自己満足の為なら止めはしないけど。さあ、ちゃんと有意義な話し合いをしましょう。離縁に向けて」

「…っ!離縁だけは嫌だ。愛しているんだ、カサナっ!」


夫は目に涙を浮かべながら、私の足に縋りついてくる。

こうなると思っていた。すべては私の計算通りにことは進んでいる。

 

 さあ、ここからが本番よ。



「リヴァイ、離縁はしたくないのよね?でもこのままでは、結婚生活は維持できないわ。謝罪だけでは信用できない、だから今日から変わる努力をしてちょうだい」

「もちろん、すぐに変わる!絶対にだ。カサナ、約束するからっ!」


離縁を免れたと思ったのだろう。夫は勢いよく立ち上がり抱きしめようとしてくるが、私は眼差しで『気が早いっ!』と牽制した。



きっと夫は何も分かっていない。

何が悪いのかも、私がどんな気持ちだったかも。


――それでは意味がない。


自分の過ちを心から悔いなければ、喉元過ぎれば熱さを忘れてまた繰り返すだけだ。


 男って生き物はそういう傾向にあるのよね。



「ではすぐになにが変わるの?どうやって変わったことを証明するの?教えて、リヴァイ」

「えっ、……」


やっぱりだ。

男に都合のいい文化とやらは、骨の髄まで染み込んでいるのだろう。何がいけないか分かっていない。浮気も所詮は謝れば許されるくらいのものと思っている。


残念だけど、これも想定通り。



その考え方が今は主流、でもいつか廃れる。

その時に慌てても遅い。

だから、これから来るであろう時代の波に一番乗りしてもらおう。



これは復讐ではなく愛ゆえの最終通告、…たぶんね。




読んで頂きありがとうございます。


この作品はアルファポリスにて先行投稿しております。

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