イエティと追放された大聖女
びょうびょうと吹き荒れる雪の中、私は歩を進める。
ブリザードの中、足跡はあっという間に隠され、誰も私の後を追うものはいない。5メートル先も見えない中、それでも警戒は怠らず、あたりを見渡してから横穴に身を滑らせた。
真っ暗な洞窟の中で、小さな魔法を使って光を灯すと、奥へ向かう。数段下がって、別れ道を右へ、突き当たりは左へ。ほのかに照らす松明の光から、暖かさが滲み出る。この洞窟はもともとダンジョンだったものだ。核を失くし単なる洞穴となったものの、元が大きかったせいなのか廃坑のような跡地が残った。
「グルルル」
中から響いてくる低音の声。
「ティティ、ただいま。雪鹿とってきたよ。お腹すいた?」
私は被っていたフードを外して、ほぼ凍りついた雪を叩いて落とすと、入り口の突起にスノーベアのコートを掛けた。首に巻きつけた銀髪をほどき軽く頭を振るうとパリパリになった髪もしっとりとおりる。階段を降りるとそこは暖炉が燃え盛る立派なリビングルームだ。キッチンでパンを焼いていたティティがミトンを両手につけたままひょっこりと顔を出す。真っ白な毛むくじゃらな生き物ーイエティだ。
「ガフ」
「パイ作ってたの?いい匂い。じゃ今日はザトーミルクのスープを作ろうか」
「グロロ、ガブフフ!」
世界一の気高き孤高の山、ハンブルスカの頂上近くに私は住んでいる。
ブリザードが吹き荒れる日はちょっと厳しいが、普段は物静かでたまに雲の隙間から陽も入るし、ダンジョン跡の洞窟内は地下深く、なかなか暖かい。水も豊富に湧き出ているし、洞窟内に生える栄養価の高い植物もあれば、動物も昆虫もちょっとおっかない魚もいる。骨が多いし、電撃攻撃を飛ばしてくるので食用にはしないが、魔石屑を樽の中に入れ水底に沈めておくと、その魚の体から漏れる電気を吸収してくれるので、魔法を使わなくても光源には困らない。
神の啓示に従ってここまで来た時は、絶対死ぬと思った。聖女なんてやってられっか、とまじブチ切れたが、登山中に凍りついて仮死状態になっていたところで、この白いもふもふ、イエティに助けられたのだ。
イエティは魔物だと思うのだけど、とても穏やかで優しい。物理的に凍りついていた私の身体を溶かし、目覚めてからも甲斐甲斐しく世話を焼き、よくわからない白い飲み物を与えられてから、私は気力を取り戻した。後になって、その飲み物が洞窟内に住むザトーというヤギに似た魔物から取れるミルクだと知った。ザトーは目のないヤギっぽい魔物で、洞窟に生える貴重な薬草しか食べないため、そのミルクは滋養強壮剤のようなものだ。ティティとザトーは共生関係にあるようで、ミルクをもらう代わりにザトーたちの食料を確保し、外敵から守っている。
人語を話さないイエティだが、つぶらな黒い瞳は雄弁に語る。体は大きく熊よりも背丈もあるけれど、犬のように人懐こい。最初の二週間くらいはどこに行くにも私をおぶって、寒さから守ってくれた。
ずいぶん昔に核が抜かれたと思われる元ダンジョンであるこの洞穴に、イエティは一人で住んでいたらしい。イエティは雪男だから、寒さには強いのかと思いきや、実はとても寒がりだ。だからもしゃもしゃの毛で体を守っているし、目も口もとても小さい。そして気が優しく、たまに遭難した人間を拾い集めては洞窟に運んでくるのだが、助からなかった人間の方が多かったのだろう。
山のように積み上げられた人骨を地下穴で発見した時は「食われる」と思った。でも、目を覚ました私を見て、薬湯やらシチューやらを勧めてきて、恥ずかしながら下の世話までしてくれた。もしかして草食なのかと思いきや、敵対してくる魔物に容赦なくその体に見合った剛力を発揮していたし、遠慮なく調理していたので人と同じ雑食なのだと分かった。
なんとか意思疎通ができるようになって初めて、イエティが遭難者を助けようとしていることに気がついた。だからこそ、この洞窟には遭難者と一緒に拾ったバッグの中にしまわれた防具や防寒具、鍋や調味料などが揃っていたのだ。私は持ち前の光魔法を使って洞窟を探検することにした。
この穴はダンジョン核の抜けた穴の成れの果てのようだった。誰かが踏破したのか、それとも高山すぎてモンスターすら育たなかったのか。残った魔物は小さく普通の野獣より弱い。たまに魔法を使う電気魚みたいなのや、まだらな白黒の毛で覆われた体に鋭い毒針を持つ蜘蛛や、超音波攻撃をする蝙蝠、サラマンダーのようなトカゲなのに雪槍を投げつけてくるような魔物も這い出てくるけれど、概ねイエティが討伐しているようで、たまに焼肉になって出てくる。これが意外とジューシーなので、文句はない。こんな雪山で暖かい食事ができるなんて夢にも思っていなかった。
そんなわけで、このダンジョン崩れには5つの大穴がある。そのうちの一つはここリビングとキッチン、すぐ横の小さな穴は食糧庫として使っている。リビングから見て右側の穴はイエティの部屋と私の寝室で、その奥、地下に入ると雪解け水の湖があり、電気魚が住んでいる。その周辺はガトーが徘徊し、貴重な薬草が雑草のように生えている。
リビングの暖炉は私が作ったもので、実は聖火を灯している。絶やしてはならない聖火なので毎朝短い祝詞を捧げ聖力を燃料にする。その火を使って料理もするし、風呂も沸かせるので便利(司教には内緒)。もう一つは、いわゆる墓場。ティティが拾ってくる凍りついて助からなかった人間はアンデッドなどにならないよう聖火で焼き、骨を埋めた。レスト・イン・ピースだ。その奥にも細い道や天井近くに横穴があり、その辺りに魔物が住んでいるようなのだけど、ここまで出てくることは少ない。住み慣れてしまえば、わりかし快適だったりもする。
さて、なぜ私がわざわざ人も住めないようなこんな山頂までやってきたかというと、実は追放された身なのである。もともと住んでいた北のレベランド公国内にある大神殿で、私は大聖女として君臨していた。生まれた時から神殿に住んでいたので、俗世のことはよくわからないが、ある日大神殿の祈りの間で祝詞をあげている最中に邪魔が入った。
「おい、大聖女。お前をわたしの妃にしてやる。喜べ」
キラキラした金色の巻毛をはためかせ、ふりふりレースが胸元にこれでもかと施されたの白いシャツを着て、金の刺繍の入った煌びやかなカボチャパンツを履いた白タイツの人が、私を指さした。
大神殿の祈りの間は吹き抜けで、雨の日も風の日も嵐の日も日照りの日も雪の日も槍の日も、天を臨む祈りの間で9時間の祈りを届けなければならない。『祈りの邪魔をしてはならない。バチ当たっても知らないよ?』と再三忠告しているのにも関わらず、司祭様も神官たちも何をしているのか。ちょっと眉間に皺が寄ってしまった。
「どちら様?」
「なっ、不敬な!それでもレベランド公国民か!」
いや、私はレベラント公国民じゃないんですけどね?
日々天に祈り、天候を操り、豊穣の土地を与え、聖火に聖力を注ぎ込み、神に全てを捧げるため個人名も貰えず、皆が皆『大聖女』と呼ぶからそのまま名前になってしまったほどの大聖女。つまり、私は神の僕であって、どこの国にも属していないのだから。
どの国の国王だろうと天皇だろうと、女神ヘルマンディア様以外、私に命令を下すことは出来ないのよ?
大神殿で生まれて育ち20年。なんでも私、大神殿の聖なる泉の水泡から生まれ出たとかいう、大聖女。いや、そう言われて育ったのだからそうなのだと思っている。お祈り中だった亡大司祭様曰く、『神聖なる泉から湧き上がる虹色の水泡の中に、へその緒をつけたままの女児現れたり。その者、女神の加護を得て白く輝き、天空を司る聖女となすべき、天啓あり。その日をもって大聖女とせよ』
大司祭様は、その天啓を受けて精魂尽きてしまって代替わり。新しい司祭様はあまり聖力が強くなく、以来大司祭様の地位は空席のまま、天啓は降りていないと聞く。
私は生まれて?権現して?間もなく大聖女と呼ばれ、個人名がない。女神様だってヘルマンディアって名前があるのによ?恐れ多くて名前などつけられないとか、おかしくない?そもそも水泡から生まれてへその緒付いてるって、母体はどこよ?一応、五臓六腑は機能しているし、人間であるらしい事は、確かなんだけど。私のへその緒は祭壇に祀られているらしいけど。誰が拝むのかしらね、あんな干からびたもの。
まあ、そんな私が仕えている大神殿、確かにレベランド公国内にありますけどね。神殿はどの国からも一線を画し、国家権力が使えないってご存知ないらしい。
「あのね、ご存知ないかしら。聖女は結婚はできませんの」
「…なに?」
「ですからね、聖女は結婚はできませんの。あなたが例えどこぞのやんごとなきお姫様だとしても、私と結婚はできませんの」
「……お姫様?」
「それどころかね。私、あなたの言うところのレベラント公国民でもないので、フケイザイとか、適応されないの。わかるかしら、お姫様?」
「お、お、お前、このわたしをお姫さまと呼んだのか…?」
「公女様?お嬢様?それとも新入りの聖女様?どなたでもいいですけど、祝詞の最中にここに来てはダメだと司祭様か神官様に言われませんでした?」
「ふ、ふ、ふ、」
「笑い事じゃないですよ?祝詞は季節のめぐーー」
「ふざけるなぁっ!!貴様は死罪だ!不敬どころの騒ぎじゃない!公国の次期公爵に向かってなんて言い様だ!しかもお姫様だと!?わたしが麗しいのは認めるが!わたしは!歴とした!男だ!その腐った目を大きく開けて見てみるがいい!」
私は目を見開いて、再度その為人を見た。
ひらひらとフリル満載の白いシャツにフリルのついた袖口、金色の刺繍が入ったカボチャパンツにすらりとのびた白タイツの長い足。先のとんがったヒールの靴を履いて、しかもボリュームタップリロールした金髪に愛らしい顔。睫毛は長く、瞬き毎に音がしそうだ。愛らしいピンクに染まった頬と、赤い小さな唇はへの字に曲がってはいるが。
やだわ。
どうみても女の子じゃない。
これで男の子?
うっそ。私の女としての自信無くすわー。
っていうか、ここ男子禁制なんですけど?
「……っ!!出ていけ!我が国から出て、どこででも野垂れ死するがいい!」
私の視線の意味を悟ったのか、真っ赤を通り越して赤黒くなった憤怒の顔を見せて、次期公爵様が雄叫びを上げた。
私、自分で言うのもなんですが、聖力は無限にあるし、魔力も筋力もものすごく多い。つまり、可憐な女の子では決してない。だって、聖女の仕事って地味に力技とか脚力とか使うから、脳筋じゃないとできないこと多いし、労働時間長いせいで身の回りのことは大抵できる。聖女見習いの子達からは「お姉さま、下僕にしてください」と慕われてる(?)こともあって、この人もちょっとそういう思い詰めちゃった方なのかなと。大神殿って九割がた女の子だし。一部の聖騎士とか神官に男性がいるとは聞いたけど、私の周りにはいなくて。
「女の子だと思いました。すみません」
と謝ったけど、ますます活火山ように頭から煙を出し、蹴り出されてしまいました。
まだ今日の分の祝詞が終わってないんですが、いいんでしょうかね。天災に襲われても知りませんよ?晴れ渡る夏の祝詞の部分で途切れましたから…。
まあ、そうなっても、私のせいではありませんよ。邪魔したのはそちらですからね?
それより、我が身。とりあえず、緊急時のために常にストレージに旅装束と必要なものは全部仕舞い込んであるので、心配はありませんが。
「さて、神よ。私はこれからどこにいけばいいのでしょう」
なんて天を見上げたところで、天啓が降りました。にわかに空が暗くなったかと思えば、北の山脈にぱあぁっと光が差し込んだのです。女神ヘルマンディアは無口な方で、滅多にお声は出しませんが、こうして態度とか超常現象を起こして啓示してくれることが多いです。おそらくですが、亡大司祭様が精魂使い果たして啓示を聴いたのを後悔しているのだと思います。神様って純粋に聖力物凄いから、頭の中で聖力使っておしゃべりされると、人間の精神が持たないのかも知れません。
まあ、そんなこんなでティティに助けられーーおそらく凍死したのだと思うんですけどーー流石は神に身を捧げた大聖女、死にぞこなって?生き返って?現在に至るわけなんですが。
まさかと思うけど、ティティが神の眷属というわけじゃないよね?
「グル…」
「あっ、そうね、雪鹿の下準備をしなくちゃね」
住めば都のこのお山には、鹿やらクマやらが生息している。野生の鹿や熊は、なるべく狩らないようにしているけど、魔獣となれば話は別。時折ものすごくでっかい赤い目をしたクマとか、実は飛べるんじゃないかというほど脚力の強い鹿は明らかに魔獣なので、美味しくいただくことにしている。雪鹿は野生の鹿より小さく、どちらかというとちょっと大きな狐くらいの大きさだけど、頭のツノが体よりでかい。当然白く動かなければ灌木かと間違えるかもしれないけど、この魔獣はよく跳ねる。ノミのようにぴょんか、ぴょんかするもんだから、あちこちで見つけることができるのだ。弓があれば良かったのだけど、弦がない。柔軟性のある蔓というのがこの雪山では作れなかった。魔獣の足の腱を使ったり、毛皮からセコセコと作ったりもしてみたが納得のいく弦は作れず断念。仕方なく槍を作り、ヒョーイ、ヒョーイと投げることにしましたよ。最初はなかなか命中しなかったのだけど、ま、これも訓練の賜物。今では百発百中に近い。頼りになるわ、私の上腕筋。
魔法を使えばいいのに?いえいえ、生き物の命を美味しくいただくために、魔法を使ってはいけないと決めているのです。
子供の頃に遠征の途中で魔法を使って大猪を仕留めたら、それを見た近くの村人が「わしらにお恵みを」ってたかりに、いえ縋って来たことがあったのです。その村は特にひもじいわけではなく、獣の住む山も近い。魔獣が出る地域ではなく、田畑も順調に育っていて。多分、その人たちはただラクをしたかったのだと思います。それに気づかず渋々その猪を渡したら(だって、私の重要なタンパク源でしたから)、他の人たちがわしらにも、と迫ってきたわけです。そこで無理だと言ったら、猪を巡って争いが起きてしまい『大聖女様は簡単に狩りができるのに、我らには恵んでくださらなかった』と文句を言われ。あ、やばいと思った時はすでに遅し。その一言に腹を立てた神様が、その村を一夜にして消してしまわれたのです。以来、魔法での狩りはやめました。
とはいえ、遠征中、魔獣討伐はしなければならないので、魔法は狩猟ではないところで訓練しましたけどね。
神殿の大聖女だった頃、世界を歩いて祝福を与える巡礼の旅というのがありました。私の掛け持つ国は全部で5つ。大神殿のあるレベラント公国周辺の国だけなのですが、3歳の頃からこの五カ国の言語を学び、地理を覚え、半年かけて、四つの神殿に歩いて向かい、そこで祝詞をあげるのです。10歳までは馬車を出してくれましたが、それ以降はひたすら歩き。時には野盗に襲われ、山賊に追われ、獰猛な獣に付き纏われ。それを一人で対処しなければならなかったのですから、大聖女は生死をかけた体力必須の過酷な職業で、可憐な乙女ではいられなかったのです。
まあ、そのために無限大の聖力を授けられたのですが、この聖力は自分のためには使えません。一言、ふざけんな、です。それをカバーするために死に物狂いで私自身の魔力の底上げ、体力の底上げ、気力の底上げ、しましたよ。ええ。おかげで空間魔法も覚えたので、それ以降は何かと楽になりましたけど。ただ、何でもかんでも考えなしに魔法を使うと、ドツボにハマって下手すると死にます。
たとえば筋肉がないのに、筋力強化魔法を使った場合、外した途端に肉離れ、とか次の日めっちゃくちゃ筋肉痛とかなるわけです。体は資本。気力は基本。メンタル弱いと重力魔法を使った時にも、もンのすごく消耗します。五感と体験と記憶はがっちり絡み合って、繋がっていますからね。
例えば、山を動かそうと考えて、重力魔法と筋力強化魔法を使って持ち上げたとします。頭の中で「無理だろそれ!一人の人間にできるわけない!」と常識的なことを思い浮かべ、無理なことをしていると理解しながら行使した場合。記憶あるいは想像による負荷に耐えられず、身体がひしゃげスプラッタ、あるいはそれを無理矢理にでも受け止めようと魔力が暴走する可能性もあるのです。結果、魔力枯渇でミイラのように乾涸びて衰弱死。想像力って怖い。外傷を受けないよう強化魔法をかけたのに、目の前に迫ってきた剣でザクっと斬られたと思った途端に血が噴き出したりとか、あるんですよ。火魔法使ったら全身火傷で水脹れができて脱水症状起こしたとかね。こわいこわい。ただ私の場合、死ぬ目に会うと、自動的に聖魔法が発揮されるようで、なんか生き返ってるんですけど。
なので、そういう視覚情報も脳内変換して筋力誘導しないとえらい目にあうわけです。
『私は強い子、切れない子』と自分に言い聞かせてから決闘をしたり。『絶対大丈夫』と思わないと、魔法の効き目は半減してしまうので、ずいぶんメンタル強化訓練しました。ぼっちで寂しい、とか重力魔法を使ってる最中に考えたりすると、ブラックホール作っちゃう魔道士もいたとかで。ヒェ。
その昔は図々しくも勇者と名乗る強者が出てきて、自分の想像から魔王を作り出しては退治して、国々から金をせしめていた詐欺事件もあったらしく、想像力豊かでいいねとばかりは言っていられなかったようです。なのでこの世界、『俺、勇者』なんていうと有無を言わさず始末されます。ご注意あれ。
私はタフな子、明るい子。大聖女は肉体派。9時間の祝詞も青空神殿なので野ざらしで。朝は4時ごろに起きて、ランニングからの筋トレ、魔力の訓練、視界情報変換のイメトレなどなど、夜7時までとにかくトレーニング。で、七草粥の夕飯をいただいて就寝。タンパク質を取らずしてどうやって筋肉をつけるのか悩みましたが、10歳を超えてから年に一回の旅で解消されました。とにかく狩る。私の収納、有能なので、時間経過無しの収納魔法と、時間経過スローの収納魔法を使い分けて、生肉保存してあるんです。これは誰にも秘密ですが。神殿内では火を使うと匂いでわかってしまうので、事前に加工品にします。ソーセージとか、ハムとか、ジャーキーとか、サラミとか、酢漬けとか、油漬けとか。旅の間は自由気ままに焼肉三昧。んま。
その辺りの経験が今の生活に役立っているので、結果オーライで無駄にはなっていないのが救い。
そんなこんなで数年が過ぎたある日、突然お迎えが来た。
いや、ティティが拾ってきた。
かちこちに凍った人間を解凍して(ええ、死んでましたよ)なんとか聖魔法で蘇生させると、どうやら公国の平民兵士で、歯の根が合わない口でどうか戻ってきてください、とボロボロになった勅命書を胸元から取り出した。
話を聞くと、私が追放されて国から姿を消したすぐ直後に、捜索されていたらしい。別に隠れて旅をしていたわけではないけれど、ひょっとして野盗と思って退治した人たちが実は捜索隊だったとかなのかしら。
私の足取りを追って、どうやらもう何年も前から使いのものを出したらしいが、誰一人としてここまで辿り着けなかったようだ。『山入りした聖女を見た!』報告から、毎年数十人ほどの捜索隊を作り、お山に送り込んでいたらしいけど、辿り着いた人は一人もいなかった。チラリとレスキューが大好きなティティをみたけれど、そっけない顔をしているところから、彼もきっと見ていないのだろう。
その人曰く、大聖女が去って公国は今にも壊滅の危機に陥っているのだとか。知らんがな。
私が去ってすぐさま、大神殿から人が消えたそうです。というか、それは公国から隣国へと逃げたのだと思います。何せ神殿の人々は神の祟りを知っているし恐れているから、逃げるのは当然。誰もとばっちりを受けたくはないものね。第二神殿である東のソーマ国に逃げたのでしょうね。あそこの司祭様、優しいし。
その時点で慌てた大公が、大聖女を呼び戻すように編隊を立てたけれど、その者たちからは音沙汰もなく。逃げたんじゃないでしょうかね?それで、隣国にある神殿に問い合わせてみてもどの神殿も公国へ手を貸すものはいなかったそうで。くどいようですが、当然ですよね。
「公国では1年の間日照りが続き、泉が枯れ、川が枯れ。作物が育たなくなり、不毛の土地が増えました。聖女捜索隊の第二団が山へと向かったけど、山に入ったきり、なしの礫となり。その間、大公が頭を下げて隣国から救済処置を取ったものの、逆に公国を助けた国も次々災害が襲いかかり、それぞれが神殿の聖女に祈りを求めたところ、公国が大聖女を追放したために神の怒りを買ったのだという事がバレて、近隣国は怒り全ての国が公国から手を引いてしまったのです」
『彼の国に手を貸したものは皆神罰が下る』と。
「ああ、それは、あれ…。祝詞の途中で追い出したりするから、夏の祝詞のまま季節のバランスを崩しちゃったのね」
「そ、そんなことがあったのですか…」
「ええ、あの女の子みたいな公子…祝詞の最中に乗り込んできて、私追い出されちゃったから」
私が軽く説明すると、兵士は「本当に申し訳ありません」と頭を下げた。あなたのせいじゃないのだけどね。
「ですが、あの御仁も罰を受けました」
そのうち公国だけに暗雲が立ち込め雨が降り始め、「ようやく恵みの雨が」と民は喜んだが、渇きすぎた大地は雨を吸い込むことをせず、洪水を起こし全てを押し流していったのだ。そしてシトシトととめどなく降る雨は止むことはなく暗雲は上空に留まった。人々は高台に逃げまどったが、今度は地崩れが起こり最初に宮殿が傾き始めた。地盤沈下が起こったのだ。そして、宮殿の半分が地に沈み、宮殿から病が発生した。
奇病。
公子の股間が腫れ上がり、痒みを伴った。薬師が駆けつけ治療を行うも、次第に凍りついたような状態になり皮膚が爛れ、とうとう大事なものがぽろりと削げ落ちた。かろうじて尿路は残ったため排尿に問題はなかったが、子種は望めず女好きだった公子は絶望した。そうしたことが貴族を中心に広がり、女遊びをして妻や恋人を泣かせていた男性が皆同じ症状になったのを機に、男性陣は皆自粛した。
明らかな神の怒りを感じとり、己の息子の行いを恥じた大公は公子を北の塔に軟禁し、公国は一夫一妻制を確約し、後宮は解体された。それに困った女性も出てきたが、それどころではなかったのだ。まあ、大公は自分のモノがカッチンポロリになるのを恐れ、慌てたのだろう。そして次々に捜索隊が出され、何がなんでも大聖女を連れ戻せと躍起になり、第十七編隊が組まれようやく、たった一人の平民兵士が聖女にたどり着いたのだ。
かかった年数は7年。
私、雪山で7年も暮らしていたのか。道理で狩りも上手くなる筈だわ。
私を見つけるまでかかった年数に憐憫も浮かぶが、それだけ掛かるまで懺悔をしなかったということだ。女神ヘルマンディア様は非情な神ではない。慈悲深い愛の女神。豊穣の女神なのだから、心から懺悔し、悔い改めればもっと早く怒りも収まった筈なのだ。それだけ公国が腐っていたということなのか、人間の性として諦めるべきなのか。大神殿のお膝元で守られるうち、傲慢になってしまったのだろうか。
はあ、と私はため息をつく。公国を追放されても、私は大聖女なのだ。大聖女であることから解放されたわけではない。
「ゴフ…」
ティティは悲しそうな顔をして大聖女を見つめた。別れを悟っているのだろうか。つぶらな瞳がうるうるしていかないでと言っているようにも見える。
「ティティ、あなたも一緒に来る?」
7年も一緒に暮らしたのだ。情も湧く。イエティがいなければ私は生きていなかったと思う。優しくて頼もしい私のティティ。だがティティは首を横に振った。
知ってる。
雪男は雪山でしか生きていけないのだから、私は山を降りれても、彼はここから出られない。
公国なんてほっといてもいいじゃないか。傲慢で、神の怒りを解くのに7年もかかったような人間が住む国だ。今更私が向かったところで、人々が改心するとは思えない。それどころか、「今までサボりやがって」とか悪態をつかれるかもしれない。まあ、そうなったらまた一夜にして国が一つ滅びるだけなんだけど。
そんな考えもチラリと頭に浮かんだけれど。
私は公国の民ではなく、女神の僕である大聖女なのだ。この兵士がここに辿り着いたということは。この兵士が御使であるという事で。私があの土地を癒さなければならないのだろう。
全くもって人使いが荒い。
だけど、こうしてティティに会えたのも、女神様の思し召し。
「仕方がない。私が戻って来るから、そしたらまた一緒に暮らそう?ティティ」
「グゥルルル」
それから一年。
大聖女が公国の大神殿に戻り、大司祭も聖女たちも東のソーマ国から戻ってきた。公国は解体され、隣国五カ国に分割吸収された。大神殿のある周辺は不可侵領域と認定され、神殿関係者以外、完全男性立入禁止区とされた。
大聖女による七日七晩の祝詞の後、神の許しを得て暗雲は去った。水が引き、大地は沼地へと変わったが、民は感謝をし、水田を作り始めた。河川を整え、泉を作り、精力的に働き、1年の間に大地は緑を取り戻した。平民の一兵士だった男は、唯一大聖女の元へ辿り着くことを許された人間だったとして、大司祭として持ち上げられた。
大聖女の帰還から一年たったある日、突然大聖女は大神殿から姿を消した。突然のことに人々は戸惑い、嘆き悲しんだものの、新たに就任された大司祭に神託が降りた。
「私の心はあの山にありき。必要があれば山へおいでなさい」
行いが良ければ雪男が拾ってくれますから、と。
以来、ハンブルスカ山は聖域となり、純粋な望みのある者だけが山頂にたどり着けると噂が流れた。そこには神の使いの雪男と雪の聖女が座すのだと。
Fin.
読んでいただきありがとうございました。早速の誤字脱字…。くっ。訂正ありがとうございます。