だいにわ!
パチンコ業界。
それは一般的にギャンブルと認識されているが、法的にはギャンブルと分類されないチグハグな業界である。
何はともあれこの業界は一日にして大金が動く世界であり、最盛期には年間34兆8620億円もの市場規模を持っていたとされる一大産業だ。
ただ現在はパチンコ及びスロットを打つ人間が減少傾向にあり、業界は苦境に立たされている.........と指摘出来るだろう。
しかしその一方で衰退しているとはいえ市場規模は相変わらず侮れず、それが故の従業員に対する手当の厚さは特長の一つとして挙げられるかもしれない。
もっとも結局それは、儲かっている企業に限った話であるのは、どの業界でも同じでーー。
『うちの会社はさ、客の離反が酷いんだよ、分かる? だから今はこうして接客に力入れてんの。なのにそう言う真似するのは.........どうなの?』
『はい、申し訳ありません』
インカム越しでも伝わる、張り詰めた空気。
片や責め、片や責められるその遣り取りは、傍から聞いていても気分の良いものではなかった。
だからこそ、説教の類はあまり人目のつかない所で行った方が良いのだが......。
『俺は副店長としてさ、この店の接客を向上させるのが仕事の一つなの。俺、何か間違った事でも言ってる?』
『い、いえ、そんなことは無いです.........』
妻木 主税は、そんな聞いているだけで不愉快になりそうなインカムを他所に、パチンコホールを巡回しながら呑気に歌っていた。
「〜〜〜〜♪」
しかもそれは丁度サビに差し掛かったところらしく、ここがカラオケボックスであるかの如く熱唱していた。
「おい」
「ん?」
そんな彼の肩を不意に誰かが軽く叩き、お陰で熱唱を中断させられた妻木が残念そうに振り向けば、そこには彼の同期の姿があった。
「妻木、お前何歌ってんだよ」
「ん、“ワタリドリ”だけど、一緒に歌う?」
「歌わねーわ。デュエットする曲じゃねーし流石に今勤務中だぞ。副店長に目をつけられてみろ、面倒臭いったらありゃしない」
そう言って、インカムから伸びる有線イヤホンを指で叩くのは、神野 葛。すらりとした体付きに憎らしいほど爽やかな顔を搭載したイケメンは、女性客からの人気も高い。
その人気ぶりは妻木からすれば妬ましさを覚えるほどだが、それ以外の要素については相性が良かったらしい。入社してからこの方、両者は良好な関係が続いていた。
『皆さんも接客の意識忘れないで下さいね。 別にそんな難しい事をお願いしてる訳じゃ無いんですから、それくらいちゃんとやって下さい』
『.........かしこまりました』
「おーおー、今日も副店長無双が続いてんな」
「見るからに機嫌悪かったもんな。つかあんな人間が教育店舗に居たら駄目だろ」
教育店舗。それは新卒採用された者たちが配属される店舗であり、ここの中で業務における様々な事を学んでいくシステムとなっている。
だから、こう言う店舗には人格者が集められやすいのでは無いかーーと妻木は勝手に考えていたのだが......蓋を開けてみたらこの有様だ。
『妻木君と神野君さあ、中央で固まって何してんの? 巡回してまだやるべき事なんて幾らでもあるでしょ? 俺今カメラの映像見てるから、サボってたら一発で分かるからね?』
「ありゃー、見つかったか。三十秒話すのも許されないのは勘弁してほしいね」
「参ったな、暇人め」
険の乗った声が耳に入り、二人は緩慢な動作で分かれて巡回を再開する。同時に、それぞれが『失礼しました』などの返事と謝罪を入れていたが、副店長からすればまだ不満が収まらないらしい。
『一年目なんだからさ、先輩にホール巡回させてないでもっと動かなくちゃ駄目でしょ。何でそんなことも分かんないの?』
『申し訳ありません』
注意するのは勝手だがせめて口調は柔らかくしてほしいものだと思いながら、妻木が通路に落ちていたゴミを拾っていると、すれ違った先輩の一人から同情の声を掛けられる。
「災難だな妻木」
『そーなんですよ。暇人に目を付けられると大変で』
「えっ」
『えっ』
イヤホンから聞こえてきた妻木自身の声に、妻木も先輩も片耳を押さえて硬直する。
はっとして妻木が自分の手元を見遣れば、マイクを握ったその手は、しっかりと会話ボタンを押しっぱなしにしていた。つまり、そのボタンを離さない限りはマイクが音を拾ってしまう訳で。
「「......」」
しばし、妻木と先輩社員は無言で互いの顔を見合う。
一縷の望みをかけて聞いていないでくれと思ったのも一瞬、答え合わせはあっという間に訪れた。
『あれ、妻木君良い度胸だね。暇人って誰の事?』
『いえいえ、お気になさらず。大した事では無いので』
さらっと妻木はシラを切る。しかし、さっきまで近くにいた先輩社員は身の危険を感じ取ってか、すでにその姿は消えていた。
薄情な事だと先輩を糾弾したい妻木だったが、それよりも先に副店長の声がイヤホンを通じて鼓膜を揺らした。
『今のさ、暇人って明らかに俺の事でしょ?』
『まさか、そんな訳ないじゃ無いですか』
『ふざけんなよ、そんな嘘通じる訳ねえだろ!』
耳鳴りがする程の怒声がイヤホンから聞こえて、妻木は顔をしかめる。同様にホールを巡回している人も不快そうに顔を歪めている中、妻木は副店長をなだめる様に言った。
『嘘だなんて......もし仮にそうだとしたら、副店長は暇でいらっしゃったんですか?』
『だから何でそうなるんだ!?』
『ええっ!? 違うんですか!?』
『ちげぇよ!』
妻木の視界に映った従業員達が、不意に腹を抱えてうずくまる。肩が震えているところを見るに、チグハグな会話を聞かされて笑いを堪えているのだろうか。もう一押しすれば爆笑させるのも難しくなさそうだ。
爆笑一歩手前の彼らの背中を目にしてそんな悪戯心がむくむくと湧き上がり、妻木はいま自分自身が怒られているのも忘れて唐突に言い放つ。
そう、インカムを使って言い放つのだ。
『おち○ちんびろーん』
『妻木、お前ちょっと事務所来い』
怒号と笑い声は、パチンコ台の騒音に紛れて消える。
しばらくの間、ホールの巡回人数がゼロになっていたのだった。