#7 嫌な話を洗い流せれば。
「風呂って、湯船に浸かりたいか?」
「うーん。浸かりたいかもです」
「了解。じゃあお湯貯めるからちょい待っとけ」
夕食のごみを片付け、春斗は準備を済ませて浴室に向かう。
今は五月末。熱くなってきているのでシャワーだけで充分かとも思っていたが、花火が浸かりたいのであれば否やを唱えるほどでもない。アパートの家賃系は両親に任せてあるのでカツカツに節約する必要はないのだ。
(あー、でも一応連絡だけはしとかないとなぁ)
仕送りのほか、春斗はバイトもしている。だが、できることならばバイトの給料や趣味に使う額や交友費のほかは貯金に回したい。
単純計算で食費が二倍……ということにはならないだろうが、生活費が増すことは確実。そうでなくとも色んな問題はあるし、報告連絡相談は必須だろう。
(けどまぁ、それよりも優先することがあるか)
ずぉぉぉぉと勢いよくお湯が出ているのを確認してから、リビングに戻る。
まるで自分の家のようにソファーでまったりとテレビを見ている花火を見て、ふんわりとほどけたように春斗は笑った。
「タマって、結構図太いよな」
「女の子に太いとか言わないでほしいんですけど」
「安心しろ。タマは太いどころか細くて心配になるくらいだから」
「はあ。それはそれで複雑ですけど、ありがとうございます」
実際、花火は細いしスタイルがいい。女子高生が全般的に痩せすぎで心配になるということを除いて考えれば、申し分がないと言えよう。慎ましやかとも大きすぎるとも言えないこぶりな胸も、花火の印象にぴったり合っているように思える。
「こほん。そんなくだらないことより、真面目な話だ」
「くだらないって流されるのはあれですけど……なんですか?」
「えっとだな」
デリケートな話であるがゆえに、どうしても春斗も言い淀んでしまう。くしゃっと後頭部に触れ、ぽりぽりと掻きながら言葉をまとめる。
「タマの両親との話だ」
「……っ、そうですか」
「悪い、話したくないよな。けど最低限の事務的な話だけさせてくれ」
それまでの、けるんとした笑顔はあっさりと瓦解してしまう。行き場のない子供のように俯く花火を見て、無性に頭を撫でてあげたくなる。
でも春斗は知っている。そんなお手軽な愛を与えて、花火を勘違いさせてはいけないのだ。
だから伸ばしそうになった右手を引いて、代わりに花火の隣に座った。
「聞きたいのは三つ。まず一つ目。タマは――」
「その話をするときだけは、タマって呼ばないでほしいです」
泣き出しそうな懇願を無視する意味も勇気も、何故かと聞いてやれる優しさすらも持ち合わせてはいない。
「……了解。じゃあ、桜内はなんて言って出てきた? 無断か?」
「違います。二人がその、私を押し付けあっていたので……私は彼氏と同棲するからいいよって言いました」
「そりゃまた無計画なことをしたな。両親はそれを許したのか?」
「はい。後日、生活費が必要なら振り込んでくれるって」
話を聞いて、春斗は微妙な気分になった。
無計画でどうしようもないことをしている自覚は花火にだってある。その上で『彼氏と同棲』などと言ったのは、ただ咄嗟に出たからというわけではないだろう。
両親が自分を押し付けあっているのを見て、刹那に願った白馬の王子様の到来。愛を求めて、期待して、いるはずもない架空の彼氏に縋れる自分を演じたくなる気持ちは容易に想像できてしまう。
そしてそんな花火の言葉を信じ、容易く許してしまった彼女の両親にも怒りは湧くが……結局のところ、それは一方的な情報を聞いた第三者の勝手な義憤にすぎない。
最低限、金にまつわるところでは社会人としての常識をぎりぎり持っていることを喜んでおくくらいの方がいいだろう。そう、春斗は自分を鎮める。
「二つ目の質問。桜内の荷物はどうするって話をした?」
「明日二人とも家にいないので、そのときにまとめて持っていくことになってました。場合によっては荷物も学校も諦めなきゃ、とは思ってましたけど……」
またしても複雑な気分にさせられる。頭で分かっていても、実際に花火がそこまで思いつめていたことを告げられると、泥のような何かで胸がいっぱいになってしまう。
「了解。じゃあ俺も付き合うから、明日中に極力運ぼう。残った分はまた今度か……もしくは、配達しちゃうのもありだな」
「はい……すみません」
「しおらしくすんな、らしくねぇよ。それよりもう一つだけ質問だ。いいか?」
終わりかけの線香花火みたいに弱々しく笑って、花火は小さく頷いた。
「学校絡みの資料とかお金とか、その辺はどうするって言ってた? 親の承認がないと困るものも多いだろ」
「資料とかは……郵送することになってます。学費とか、必要なお金は払ってくれるらしいです」
「そっか。答えてくれてありがとな」
表面上、形式上の機能はきちんと果たすつもりということだろう。花火と両親の関係の実情を正しく推し量ることはできないが、子供をここまで邪険に思うということは……と嫌な想像をしてしまいそうになる。
「あの……先輩?」
「あっ、悪い。ちょっと考え事をな」
傘を差さなくていい小雨みたいに、自信なさげで縋るような声だった。
摘ままれた服の裾から細い指を一本一本ほどいて、代わりに春斗は微笑む。
「それよりもタマ、もうお湯も貯まった頃だし入って来いよ。着替えは適当に見繕って置いといたから」
会話に切り取り線を刻むように、努めて明るく言った。
それからぽんぽんと背中を叩くと、花火はようやくさっきまでの笑顔に戻った。
「じゃあそうしますね。あ、覗かないでくださいよ? 覗いたら……責任、取ってもらいますからね?」
「はいはい、そうだな。分かったから言ってこい」
「むぅ。もういいです、行ってきます。ハル先輩は私のシャワーの音を聞いて妄想しちゃえばいいんです」
エビの如きぷりぷり具合で、花火は浴室へと向かう。
その背中を見送ってから、ため息交じりでソファーに身を委ねた。もう九時に差し掛かり、もうすぐテレビでは映画が始まる。それまでのCMの音の雑多さのおかげで、花火の脱衣の音は聞かずに済んだ。
それでも、イヤフォンを耳に入れでもしない限り、ぷつりぷつりと浮かんでは消える剣呑な考えの連鎖を断ち切ることはできない。
「ハル先輩っ! お湯加減、お湯加減ちょうどいいですよ~!」
「…………ええい、やかましい! 大人しく入っとけ」
「はぁ~い」
花火のあざとさに似た何かが、春斗をオレンジミントみたいな清々しい気分にしてくれた。




