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#10 グッドモーニング

「んっ……くふぁ」


 夏に向かうのをとうせんぼするような雨音が、トンテンカッタンとリズミカルになった。目覚まし時計代わりの自然の足音で覚醒した春斗は、字幕表示が難しそうな欠伸と共に体をよじった。


「んがぁ……眠ぃ」


 眠気眼のまま、春斗はすぐ近くに置いていたスマホを手に取る。ブルーライトで目がぱっちり覚めることを期待しつつ、平日の起床時刻とだいたい同じ時刻だと確認した。

 六時半だから……眠っていたのは、八時間弱といったところだ。普段はもう少し夜更かしすることを考えると睡眠時間はいつもより長いはずだが、どうにもこうにも、頭の中でプカプカ浮かぶシャボン玉が割れてくれない。


(ってか、なんでソファーで寝てるんだっけ)


 ぼやけた頭のまま体を起こすと、味のついたお日様みたいな匂いがぷんわりと漂ってきた。


「あ、ハル先輩起きたんですね」

「んあ……? お前は、えっと……」

「あなたのスーパープリティーな後輩、大天使タマちゃんですっ」

「…………ああ、そっか。泊めてたんだな」


 ようやく昨晩のことを思い出した。

 紆余曲折あり、花火を家に泊めることにしたのだ。ソファーで寝ているのは布団を花火に使わせたから。


「反応薄すぎませんかね」

「ん。悪ぃ、寝起きはちょい無理」

「へぇ、朝弱いんですか?」


 うたた寝するように力なく頷くと、花火はせらせらと笑った。


「なんか意外です。じゃあ、シャワーだけでも浴びてきちゃったらどうですか? ご飯できるまでもうちょっと時間かかるので」

「ん……ああ、そうするわ」


 普段から春斗は目が覚めたらすぐにシャワーを浴びている。自分でも寝起きの悪さは自覚しているのだ。

 覚束ない足取りでゆらゆらと浴室まで向かい、いつも通りにシャワーを浴びる。

 シャワーの温度がいつもより高いことに顔をしかめるが、おかげでだいぶ頭がすっきりした。


 鮮明になった思考が、数歩分遅れて先ほど花火の言葉をかみ砕く。


(あいつ、ご飯とか言ってたか……?)


 寝ぼけていたので当然のようにスルーしたが、改めて思い返してみると結構予想外なことを言っている。

 浴室から出て部屋着に着替えると、キッチンの方から落ち着く匂いがした。


「あ、出てきた。目は覚めましたか?」


 キッチンに立っていたのは、制服の上に春斗のデニム地のエプロンを着た花火だった。

 さわさわと穏やかに揺れる亜麻色の髪、カフェオレみたいな甘やかな瞳が蕩けそうなほどに可愛い。薄めではあるがメイクもされており、まさに完全装備の桜内花火だ。


「お、おう。目は覚めたんだが……タマは何やってんだ?」

「何って、見ての通りですよ。朝ご飯を作ってます。あ、冷蔵庫に残ってた食材を使わせてもらってます」

「それはいいんだけど。その前になんでメシ作ってんの? っていうか、作れたのか」

「むぅ。なんかその言い方は心外なんですけど」


 鍋の様子をちょこんと覗きこんだ花火は、不服そうに頬を膨らませる。


「泊めてもらってるんだし、朝ご飯くらい作りますよ。っていうか、私家事とかすっごく得意なんですから」

「おお……!」

「ちょっと! その反応はなんですかっ」

「タマが恩を恩できちんと返す奴だとは思ってなかったのと、家事とか全部任せるクソ女みたいな性格してると思ってたのとで、二重で衝撃を受けてる」

「酷すぎませんかっ⁉ そんなこと言ってるくらいならご飯炊けたのでよそっちゃってください。もうすぐよそえるようにしてるので」


 お玉から箸に持ち替えた花火が炊飯器の方を指す。炊飯器からは湯気が出ておらず、既に炊き終わって保湿状態に入っているのだと分かった。どことなく感じる温もりが、とても家庭的だ。


 口だけを動かしているのも悪いので、自分と妹用の茶碗を軽く水で洗ってから炊飯器を開けた。

 もわん、と白飯を炊いたとき特有の湯気が匂った。


「ご飯炊いてるとか、タマはどんだけ早く起きたんだよ。まだ七時になってないぞ」

「んー、四時半くらいですかね? メイクとかヘアセットとか、色々お手入れもしなきゃだったので」

「四時半⁉ 流石にそれは早すぎだろ……」


 春斗の平日と睡眠時間は変わらないかもしれない。だがまだ薄暗い朝未満の時間に起きていたと聞くと、心配になってしまうのが先輩心だ。

 二人分のご飯をよそい終えたところで、花火がけらけらと可笑しそうに笑う。


「なに言ってるんですか、これくらい普通です。っていうか化粧してるところハル先輩に見られたくないですし」

「さいですか。別に否定するつもりはないけど、健康にだけは気を遣えよ? オシャレしたところで身体がぼろぼろになったら意味ないだろ」

「その辺はちゃんと分かってるつもりです。あ、よそい終わったなら運ぶの手伝ってもらっていいですか?」

「ん、おう。了解」


 見たところ、花火が無理をしている様子はない。

 自分が知らないだけで、女子は大抵がこんな感じなのかもしれない。考えてみればまだ小学生の妹だって、髪の手入れにはかなり時間を使っていた。


 素直にこの話は切り上げることにして、朝食を運ぶ。

 テーブルに並んだのは白飯、味噌汁、そして小ぶりな焼き魚とほうれん草のおひたし。一汁三菜にはやや足りないが、日によっては朝食を欠かすこともある春斗にとってはかなり手の込んだ朝食だった。


「食べましょうか」

「そだな。いただきます」

「召し上がれ。私も、いただきます」


 エプロンを外した花火と一緒に食べ始める。

 まずは、と思って口をつけた味噌汁が驚くほど体の染みた。雨でどんよりとしている気分を晴らすような優しさと清々しさがあり、味噌汁ってこんなものだったか、と首を捻る。


「ふっふっふ、せんぱぁい、どうですかぁ?」

「ぶふっ! 馬鹿、食ってるときに急にやんのはやめろよ」

「てへっ」

「舌引っこ抜いたろか」


 ぺろりと顔を出す赤リンゴみたいな舌を箸で引っ張ってやりたい衝動に駆られる。しかし、どう考えてもお行儀が悪いうえに女子相手にそんなことできるわけもないので、代わりに焼き魚を摘まんで口に運んだ。


 焼き加減も塩加減も絶妙だった。逆にそれ以外の評価基準が思い浮かばないくらいに余計な手を入れておらず、久々に魚そのものの旨みを味わえた気がしてくる。


 白飯をかき込むと、ホカホカなコシヒカリの仄かな甘みで口がいっぱいになった。


(……炊くだけなのに味が違うんだけど?)


 一人暮らしを始めてから、もうそれなりの月日が経っている。一つ下の後輩に料理の腕で圧倒的に負けていることを実感し、少しだけ複雑な気持ちになった。


「なんかそんな風に美味しそうに食べてると、チャラさが全然消えますね。高校デビューに失敗した馬鹿な男子って感じです」

「喧嘩売ってんの?」

「割と本気で褒めてますよ?」

「ならもうちょい褒める練習をするんだな。言っとくけど俺のこの髪は地毛だ」

「へぇ」


 興味なさそうな相槌を打たれてしまい、春斗は居た堪れない気分に陥る。

 誤魔化し半分箸休め半分でほうれん草のおひたしを食べると、口の中を素朴な美味しさが広がった。


「……まぁ、実際美味いんだから美味そうに食うだろ、普通」

「あ、照れてる。流石は童貞先輩、チョロいですね」

「やかましい。味噌汁ぶっかけんぞ」

「ひっどぉい。先輩のためにぃ、せっかく早起きしてご飯作ったんですよぉ?」

「はいはい、そーだな」


 白々しい会話を適当に流しながら、もぐもぐと朝食を摂っていく。

 雨なのにひなたぼっこみたいな朝だな、とぼんやり思った。

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